みなさん、こんにちは。平沼大和です。
今回は、私とJUDOsとの出会い、そして今年7月に参加したオンラインカフェについて
振り返ってみたいと思います。
改めて考えてみると、私とJUDOsとの最初の接点は、畳や柔道衣の支援ではなく、JUDOsスタッフの川戸さんからいただいた「ミャンマーでの活動を発信してみませんか」というお話でした。
当時の私はナショナルチームの指導を始めたばかりでしたが、自分が現地で何を見て、何を感じて、どんなことをしているのか。
それを何かの形に残しておきたいという思いはなんとなく自分の中にありましたが、どうやって発信すればいいのかまでは分かっていませんでした。
そんなタイミングで川戸さんから声を掛けていただき書き始めたのが「めんでん柔道記」です。 正直に言えば、その頃の私はJUDOsが具体的にどんな活動をしている団体なのか、よく分かっていませんでした。文章を書くようになってから、国際コーチングセミナーを行っていることや、日本で使われなくなった柔道衣や畳を海外へ送っていることを少しずつ知り、自分のミャンマーでの活動にもつながっていきました。
写真 1 第1回目の「めんでん柔道記」

ミャンマーで一番困ったこと
ミャンマーで柔道を指導していて、困ったことはいろいろあります。
指導方法やトレーニングについても、日本とはかなり違いました。
私が行った当初は、ただ走る、腕立て伏せや腹筋を何回もする、とにかく数をこなすという練習も多く、「何のためにこの練習をするのか」という部分は、まだ改善できるところが多いと感じました。
ただ、こうした部分は自分で変えることができます。
練習メニューを変えることもできますし、技術を教えることもできます。
一方で、自分だけではどうにもならなかったものがありました。
それが、畳や柔道衣です。
柔道をしたい人がいても、柔道衣がない。
練習する場所があっても、十分な畳がない。
実際、Tシャツで柔道をしている子どももいましたし、限られた柔道衣を何人かで使いながら練習することもありました。
ナショナルチームの選手たちも柔道衣の枚数が多いわけではなく、毎日のように練習する中で、同じ柔道衣を何日も使わなければならないこともありました。
日本にいた時には、柔道衣を着て畳の上で柔道をすることを特別なことだと思ったことはありませんでしたが、ミャンマーではそこから準備しなければ柔道が始まりません。
当時、自分の中では、
「柔道衣が一着あれば、柔道をできる人が一人増える」
という、とても単純な感覚がありました。
それくらい、モノがあるかないかは大きな問題でした。
その後、JUDOsから柔道衣や畳をたくさん支援していただくようになりそれによって、子どもたちが柔道衣を着て練習できるようになったり、ナショナルチームの選手が複数の柔道衣を持てるようになったりしました。
一着の柔道衣だけを見れば、小さなことかもしれません。
でも、現地にいた自分からすると、その一着があることによってできることは確実に増えていました。


モノを届けていたのは人だった
一方で、柔道衣を支援してもらうまでも決して平坦な道ではありませんでした。
日本にある柔道衣を、どうやってミャンマーまで運ぶのか。
これも結構大きな問題でした。
当時、現地に駐在していた日本企業の方々が、日本からミャンマーへ戻る際に、柔道衣を手荷物として持ってきてくださったことがあります。
出張や一時帰国のたびに少しずつ運んでもらう。
今考えれば、かなり地道な方法です。
でも、その積み重ねで日本にあった柔道衣が、実際にミャンマーの子どもたちの手に渡っていました。
集める人がいて、連絡を取る人がいて、運んでくれる人がいる。
そして、現地でそれを使う人がいる。
畳や柔道衣という「モノ」の支援を受けていたのですが、そのモノを実際に動かしていたのは「ヒト」でした。
写真 3 駐在員の方に柔道衣を運搬していただいている様子

オンラインカフェに参加して
今年7月には、JUDOsのオンラインカフェ「海外柔道指導のリアルを語る」に参加させていただきました。
海外で指導されている方々や、これから海外へ行ってみたいという大学生など、いろいろな立場の方が参加していました。
そこで一番印象に残ったのは、誰か一人の話というよりも、こういう人たちが柔道をきっかけに集まっていることでした。
普段はそれぞれ違う場所で生活していますし、海外へ行った経緯も、柔道との関わり方も違います。
それでも柔道という共通点があるだけで、こうして一緒に話すことができます。
オンラインカフェの中では、「アウェーをホームにするにはどうすればいいのか」という話もありました。
自分自身、カナダやミャンマーで生活する中で大切にしていたのは、なるべく現地の人と同じ生活をすることでした。
同じものを食べる。
同じ場所で生活する。
そして、できるだけ現地の言葉を話す。
特にミャンマーでは、ミャンマー語を話せるようになったことは大きかったと思います。
もちろん、どれだけ長く住んでも、日本人とミャンマー人という違いがなくなるわけではありません。
文化も宗教も、お金に対する感覚も違います。
でも、その違いがある中で一緒に生活して、相手の言葉を使って話すことで、少しずつ信頼関係を作ることはできました。
海外で何かをする時に、技術や知識だけでは足りない。
これは実際に生活してみて感じたことの一つです。
写真 4 オンラインカフェの様子

海外へ行く方法は一つではない
先述の、これから海外へ行ってみたいという大学生の姿を見ながら、自分が大学生の頃にこういう場所があったら、何を聞いただろうと考えました。
おそらく、「皆さん、どうやって海外に行ったんですか?」
と聞いたと思います。
海外に行く方法をインターネットで調べると、留学や就職、海外青年協力隊など、いろいろな制度が出てきます。
もちろん、それも一つの方法です。
ただ、実際に海外で活動している人に話を聞くと、そのきっかけは本当に人それぞれです。
私自身も、ミャンマーに行こうと思って自分で求人を探したわけではありません。
人との縁から話をいただき、それが海外で指導することにつながりました。
そう考えると、海外に行きたい人に伝えたいのは、まずはいろいろな場所に行って、人に会ってみてほしいということです。
何かのイベントに参加する。
興味のある人に会いに行く。
手伝えることがあれば手伝ってみる。
その時には、時間もお金も使いますし、何も起こらないこともあります。
でも、後になって「あの時に会った人がきっかけだった」と思うことがあります。
私自身、そういうことが何度もありました。
例えばJUDOsにも国際コーチングセミナーがあります。
海外へ行きたいと思っている人であれば、まずそこにスタッフとして参加して、海外から来た柔道家と実際に会ってみるのも一つだと思います。
柔道をして、一緒にご飯を食べて、話をする。
そこから何かが生まれるかもしれません。
もちろん、何も生まれないかもしれません。
でも、少なくともインターネットで海外について調べているだけでは出会えない人には会うことができます。
おわりに
今回JUDOsとの出会いからオンラインカフェまでを振り返ってみて、改めて感じたのは、人との出会いやつながりによって今の自分があるということでした。
ミャンマーに行ったことも、そこでJUDOsとつながったことも、柔道衣や畳を支援していただいたことも、最初から自分の中に計画があったわけではありません。
その時々で人と出会い、声を掛けてもらい、自分なりに動いてきた結果、少しずつ次の活動につながってきたように思います。
もちろん、柔道を続けていくためには「人」だけではなく、「物」も「お金」も必要です。
ただ、それらを必要な場所へ届けたり、新しい活動を始めたり、次の人につないでいくのは、やはり人なのかなと思っています。
自分自身も、これまで多くの人に助けてもらいながら、いろいろな経験をさせていただきました。
だからこそ、これからは自分が何かを教えるとか、誰かを支援するということだけではなく、人と人をつないだり、誰かが次の一歩を踏み出すきっかけを作ったり、そういうことも少しずつできたらいいなと思っています。
まだJUDOsの活動に関わり始めたばかりで、自分に何ができるのかは正直まだ分かりません。
まずはいろいろな活動に参加して、自分の目で見て、実際に人と関わりながら、自分なりに考えていきたいと思います。
次回は、実際にJUDOsのスタッフとして参加した活動についても書いてみたいと思います。
平沼大和(ひらぬまやまと)
1997年、北海道生まれ。中央大学商学部会計学科卒業。在学中は体育連盟柔道部に所属した。卒業後、実業団柔道選手としてスポーツひのまるキッズ協会に所属したのち、カナダ柔道連盟ナショナルチームのアシスタントコーチを務める。2023年から2025年まで、ミャンマー柔道連盟ナショナルチーム代表監督として、代表選手の強化と柔道の普及活動に取り組んだ。2026年より、認定NPO法人JUDOsのメンバーとして活動するとともに、日本オリンピック委員会の情報科学スタッフを務めている。

