ミャンマー🇲🇲より【めんでん 柔道記 No.18】

JUDOsでは、海外で柔道指導者として活躍されている方々の声をお届けする「海外からの柔道指導だより」を掲載しています。

ミャンマー🇲🇲・ネピドーで柔道指導を行っている平沼大和さんからの活動報告です!

ENGLISH VERSION めんでん柔道記🇲🇲 vol.18

写真:写真1 出発前にミャンマーの先生が指導をしている様子。個人的にこのワンシーンが一番見たかった光景。


めんでん 柔道記
〜4,364km離れたミャンマーの地で🇲🇲vol.18〜

※めんでん:漢字表記でミャンマーのことを指す。旧ビルマ

〜ゼロから積み上げた2年半、そしてその先へ〜

はじめに 〜「あの日」から積み重ねた今〜

皆様こんにちは。ミャンマー柔道ナショナルチーム監督の平沼です。
2023年の夏、ネピドーの小さな一角に畳を敷き、少年柔道クラスをスタートさせたのが、すべての始まりでした。初めて集まった生徒はわずか数名。柔道衣もなく、ルールすら知らない子どもたちと「受け身」から始めた最初の日のことは、今でも鮮明に覚えています。あれから約1年半が経ちました。最初の教え子たちは少しずつ技術と精神面で成長し、仲間の輪も着実に広がってきました。現在では、ネピドーに加え、ヤンゴン、エヤワディーにも道場を開設し、総勢およそ80名の子どもたちが柔道に取り組んでいます。さらに、マンダレーとモーラミャインにも新たな道場を設立する計画が進行中です。

試合に出場する生徒も増え、道場間の交流や合同練習も実現し、少しずつではありますが、「柔道文化の芽」がミャンマーという地に根を張り始めているのを感じています。そして今、その芽は確かな可能性へと成長しつつあります。

本稿では、2025年5月にヤンゴンで開催された20歳以下柔道大会の様子を中心に、この1年半の積み重ね、そしてそこから見えてきた新たな展望についてご報告させていただきます。1年前、平沼道場として初めて大会に参加したヤンゴン大会とはまた異なる、子どもたちの成長と広がりを感じる景色が、そこには確かにありました。


第1回目の少年柔道の指導風景(2023/08/31撮影)

第1章 ヤンゴンU20大会の報告〜成長の証明となった舞台〜

5月某日、ヤンゴン市内の体育館に、国内各地から若き柔道家たちが集結しました。20歳以下カテゴリーに限定された今回の大会は、ミャンマー柔道の底上げと育成を目的に、ヤンゴン管区とミャンマー柔道連盟の共催により開催されたものです。参加選手の人数や階級の細かさも年々充実しており、全体としてミャンマー柔道界の裾野が確実に広がってきていることを実感できる大会となりました。

今回、平沼道場からはネピドー・ヤンゴン・エヤワディーの3拠点より、約30名の生徒が参加しました。わずか1年半前には、出場道場生は8名に過ぎませんでした。それが今、これほど多くの子どもたちが揃いの道着で試合会場に立つ姿を見て、指導者としては感慨深さを通り越し、ある種の感動に近い気持ちを覚えました。【参考:JUDOs寄稿第10回(vol.10)


写真3 一年前に出場した時の写真

写真4 今年出場した各平沼道場の選手たちと先生方の集合写真

中でも特筆すべき成果として、エヤワディー道場の生徒が今大会の「最優秀選手賞」に選ばれたことが挙げられます。この選手は、実は同道場で指導を担う先生のご子息であり、柔道への取り組みも非常に熱心で、毎回の稽古においてもひときわ集中しているそうです。
そして、その先生自身もまた、現役時代にSEA Gamesで金メダルを獲得した経験を持つ優秀な選手です。こうした“親から子へ”と受け継がれる柔道の系譜が、地方の一道場の中で脈々と存在しているという事実に、私は深く心を動かされました。

これは単なる一大会での出来事という「点」にとどまらず、柔道が個人の人生や家族、地域に根差していく「線」として存在し得ることの可能性と意義を、改めて認識する機会となりました。スポーツにおいて“物語”が持つ力、そしてそれを支える継続的な取り組みの尊さを、再認識させられた瞬間でもあります。

その他の生徒たちも、それぞれのステージで精一杯の力を発揮してくれました。今回が初めての大会出場となる生徒も多く、試合前は緊張で表情がこわばる子どももいれば、日頃の稽古通りに堂々と畳に向かう子もいました。

技術的にも、日々積み重ねてきた基礎の成果が随所に見られ、一本を取って喜ぶ姿、惜しくも敗れて涙を流す姿、そしてそれを静かに見守る先輩道場生たち――いずれもが、柔道の本質である「勝ち負けを超えた学び」を見事に体現してくれていたと思います。


写真5 最優秀選手を受賞したエヤワディーの選手

第2章 5人から80人へ 〜少年柔道成長の軌跡〜

最初に少年柔道クラスを開いたのは2023年8月末。当初は「まずは1人でも来てくれたら始めよう」という本当に小さな一歩からのスタートでした【参考:JUDOs寄稿第4回(vol.4)

それから約2年半。口コミや紹介を通じて少しずつ仲間が増えていき、ネピドー本部道場のほか、ヤンゴン、エヤワディーへと活動は広がりました。現在では、3つの道場におおよそ80名の少年少女が在籍し、それぞれの地域で柔道に励んでいます。
ただし、ミャンマーの経済的な状況を考えると、月謝を徴収できるような環境は整っておらず、現在のところ、全道場でコーチ陣が無償で協力してくださっているのが実情です。柔道という文化を長く継続していくためには、やはりある程度の資金基盤が不可欠であり、その点については今後の大きな課題だと感じています。

そのような中で、ネピドー本部道場では現在、柔道以外の収入源を模索する試みも始めています。空き地を活用してナマズ(淡水魚)の養殖や鶏の飼育など、手探りながらも「柔道を続けるための仕組みづくり」に挑戦しています。柔道だけで生計を立てることが難しいのは、何もミャンマーに限った話ではなく、日本を含め世界共通の課題だと私は感じています。
だからこそ、「柔道+α」の形で、もう一つの柱や軸を持つことが、継続の鍵になるのではないかと個人的には考えています。スポーツの価値が“競技成績”だけでなく、“人を育て、社会とつながる力”にあるとすれば、その周辺に小さな経済の仕組みや地域との協働体制を築くことは、決して本質から外れるものではないと思うのです。


写真7 飼育している鶏たち

写真8 養殖しているナマズ

また、こうした取り組みが少しずつ形になってきた背景には、保護者の理解、地域の協力、そして現地コーチ陣の献身的な支えがあることを忘れてはなりません。加えて、JUDOs様のご支援による「柔道衣運搬プロジェクト」は、ミャンマー柔道の普及において計り知れない貢献をいただいています。

私一人の力では到底成し得ないことも、日本とミャンマーの多くの方々のご協力によって、実現できていることがたくさんあります。特に、ミャンマーに駐在されている企業関係者の皆様が、日本へ一時帰国される際に柔道衣を持ち帰り、またミャンマーに戻るタイミングで持参してくださることで、多くの道場生が必要な道具を手にすることができています。
本当に、こうした“目に見えない支援”の積み重ねのおかげで、少しずつではありますが着実に歩みを進め、ミャンマーの地に柔道という文化が根付き始めているのだと、心から実感しています。この場を借りて、深く感謝申し上げます。

もちろん、課題は尽きません。柔道衣や畳の確保、遠方道場への移動手段の整備、安定的なコーチング体制の構築など、日々悩みながらの運営です。それでも、「柔道がしたい」「強くなりたい」「学びたい」という子どもたちの想いが、この道場に少しずつ集まりはじめていることが、何よりの希望です。

私はこの道場を、単なるスポーツの場ではなく、「柔道を通して人と人がつながる場所」にしていきたいと考えています。そして、柔道を続けてきたからこそ生まれる“何か”が、きっと将来、子どもたちの人生に意味ある形で結びついていく——その可能性を信じて、これからも活動を続けていきます。


写真9 駐在員の方のご協力の元、柔道衣を運搬している様子。

第3章 合同練習の実現 〜当初の夢が形に〜

少年柔道を立ち上げた当初から、私はいつか「道場の垣根を越えた合同練習ができる環境」を作りたいと考えていました。その目標が、ついに今年、初めて実現しました。

そう思い描くようになった原点には、私自身の経験があります。私が所属していた吉田道場では、一時期、複数の支部が存在し、毎週金曜日には本部に集まっての強化練習が行われていました。また、年に一度は「道場杯」という大会が開かれ、普段は離れた場所で練習している仲間たちと顔を合わせ、技を競い合い、励まし合う場がありました。

そのような時間を通じて、私はただ強くなるだけではなく、道場を超えた“絆”や“仲間意識”というものを深く学ぶことができました。そしてその経験が、今の自分の指導スタイルや、道場作りの根底にあります。

今回、ヤンゴンにネピドー、エヤワディーの道場生たちが集まり、初めて3道場合同練習を実施することができました。普段は別々の場所で稽古をしている子どもたちが一堂に会し、乱取りや寝技、打ち込みを通じて共に汗を流す姿は、本当に印象深い光景でした。言葉が違っても、出身地が違っても、畳の上ではみな平等で、柔道という共通のルールの中で自然と交流が生まれていきます。

技術だけでなく、子どもたち同士の間には友情の芽も育ち始め、柔道を通して「人と人とが繋がる場所」として道場が成長していることを、改めて実感する時間となりました。


写真10 合同練習で払い腰を指導している時の様子

今後はさらに活動の幅が広がり、道場生の人数も増えていくことが期待されます。目指すのは、ただ増えるだけでなく、「続けられる柔道」です。通い始めた子どもたちがすぐにやめてしまうのではなく、長く柔道を楽しみ、学び、育っていける環境を整えていくことが大きな目標です。そしてその先には、国境の壁を越えた繋がりを作りたいという想いもあります。たとえば、日本とミャンマーの間で柔道を通じた交流が生まれれば、それは子どもたちにとっても、地域にとっても、かけがえのない未来への財産になると信じています。

 今回の活動をきっかけに、日本の柔道関係者や支援者の皆様から、新たなご提案や応援の声をいただくようになってきました。柔道衣や畳といった器材提供をはじめ、将来的な交流プログラムや大会開催、指導者の派遣など、具体的な可能性が少しずつ現実味を帯び始めています。柔道の本場である日本と直接つながることは、ミャンマーの子どもたちにとって何よりも大きな励みになります。これが継続すれば、「日緬ジュニア柔道交流プログラム」のような草の根の国際交流モデルが実現できる日も、そう遠くはないかもしれません。

柔道という“共通言語”が、国境を越えて絆を育む――。そうした新たなビジョンも、少しずつ描けるようになってきました。

もっとも、現在のミャンマーの情勢を考えると、困難は多く、まだ構想段階の話に過ぎません。それでも、思い描いた理想を少しずつでも実現できている今、私はその可能性を信じて、これからも歩みを止めずに活動を続けていきたいと思っています。

おわりに 〜点が線になる瞬間〜

ネピドーで最初の一歩を踏み出してから約2年半。当時はただの「点」だった活動が、少しずつ「線」として繋がり始め、確かな成長の軌跡が見えてきたように思います。
もちろん、まだまだ道の途中です。今年12月にはSEA Gamesという大きな舞台が控えています。そこに向けて、ナショナルチームとしても少年柔道としても、やるべき課題は山積しています。
それでも柔道という道を通じて、目の前の子どもたちと一緒に、次の一歩を丁寧に踏み出していく。積み上げることの大切さを、改めて胸に刻みながら、引き続き日々の活動に邁進してまいります。

今後とも温かく見守っていただけますと幸いです。

【参考リンク】

▶︎ 少年柔道設立の経緯(JUDOs寄稿第4回) https://judos.jp/myanmer4/

▶︎ 初のヤンゴン大会(めんでん柔道記vol.10) https://judos.jp/myanmar10/

平沼大和(ひらぬまやまと)

1997年北海道生まれ、2023年からミャンマー柔道連盟ナショナルチーム代表監督。中央大学商学部会計学科卒業、体育連盟柔道部所属。柔道実業団選手としてスポーツひのまるキッズ協会に所属の後、カナダ柔道連盟ナショナルチームアシスタントコーチを経て現職。


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