※平沼道場1周年記念試合を終えての記念写真
JUDOsでは、海外で柔道指導者として活躍されている方々の声をお届けする「海外からの柔道指導だより」を掲載しています。
ミャンマー・ネピドーで柔道指導を行っている平沼大和さんからの活動報告です!
めんでん 柔道記
〜4,364km離れたミャンマーの地でvol.11〜
※めんでん:漢字表記でミャンマーのことを指す。旧ビルマ
皆様、こんにちは。ミャンマー柔道ナショナルチーム監督の平沼です。
ついにフランスのパリオリンピックが開催されましたね。私たちミャンマー柔道チームも、柔道界の最高峰とされる試合を初日からしっかりと観戦しました。オリンピックの後にルールが改訂されることがあり、その時代の技の流行やルールの傾向と変遷を把握することは重要です。今回もトップ選手の魅力的な技の分析を行い、今後の指導に活かせる点を多く得ることができました。もちろん各国の選手たちの応援も忘れずに行い、感動と波乱に満ちたオリンピックを通じて選手としても指導者としても、改めてあの舞台を目指す大切さを実感しました。
パリオリンピックに携わられた皆様、本当にお疲れ様でした。
さて、今回のテーマですが、平沼道場が7月末をもって1周年を迎えることができました。それを記念して形の披露会と道場試合を開催いたしましたので、その模様をご報告いたします。
平沼道場の変遷
平沼道場を設立したのは昨年2023年の7月23日でした。その当時の様子はこちらをどうぞ。
「ミャンマー🇲🇲より【めんでん柔道記No.4】2023年9月13日」
私がミャンマーに来た大きな目的はミャンマーでの柔道の普及と発展です。
その目的を達成するために柔道場を設立したわけですが、私のかねてからの夢である自分の柔道場を持つというのも合い重なって熱意をもって取り組んでこれました。下記にある写真は第一回目の少年柔道指導の様子です。畳があれば柔道ができるということで僅かなスペースを見つけて畳を敷き、地域の子どもたちを呼んでスタートさせました。振り返ってみると何か物事を起こす時の力というか体力を非常に使ったなと思います。
それから順調に人数は増えていったのですが、やはり畳があっても柔道衣がないと限界があります。そこで現地で衣服を作っている店/職人を訪ね、実際に柔道衣を持ち込み「これと同じものを作ってほしい」と頼んで試行錯誤を重ねました。
柔道は衣を掴む競技なので、厚さや耐久性、破れやすい箇所を考慮する必要があり、それらを資料にまとめて伝えることは非常に大変でした。しかし、現地の方々の協力のおかげで、なんとか及第点を出せるものが完成しました。
同時に、道場の看板制作にも取り組んでいました。こちらは思ったよりスムーズに進みました。ミャンマーではお寺やお土産品に木材を加工したものが多く、その技術に目をつけ、実際に販売店に行って職人さんを紹介してもらい相談を重ねました。こちらも現地の方々に協力していただき、「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤しながら、とても良いものが完成しました。
試作品の一例
道場生が完成品を着ている様子
その後、口コミを通じて道場の存在が広まり人数が増えていきました。最高時には80人近くが集まり、あの時が道場を立ち上げてから最高潮だったのではないかと思います。新しい取り組みへの興味も手伝って順調に成果を感じていましたが、その後、一気に人数が減少しました。
私がいなくなった後も道場を存続させるためにはお金が必要です。そこで道場を営利化する方針を立て、取り組んでいきました。誓約書や同意書を作成して道場生に知らせ、引き続き通う意志の確認もとれていましたが、実際に始めてみると10人から15人程度しか集まらず、勢いを失ってしまいました。このまま続けるかどうか悩みましたが当初の目的を達成できないと判断し、引き続きポケットマネーで運営を続け、現在に至っています。
言葉を選ばずに言うと、先進国と途上国の現実の差を痛感しました。スポーツに限らず、習い事をするためには余裕が必要です。衣食住が優先され、その次に勉強があり、スポーツの優先順位はどうしても下がってしまいます。結局「スポーツをやって将来どうなるのか?」と問われても、それで生活できる保証はなく、責任を取ることはできません。スポーツで生計を立てられるのはごく一部であり、それは非常に難しい現実です。
ただ、ひとつ確実に言えるのは「文武は両立にあらず、両輪の如し」ということです。文と武を別々のものと捉えず、車の両輪のように考えるべきです。左輪を文、右輪を武とすると片方だけでは思う道を進むことはできません。文だけでもダメ、武だけでもダメであり、両輪がしっかりしてこそ人として豊かになり人生を思ったように進むことができるのではないでしょうか。
それを伝えることができればこれ以上楽なことはありませんが現実は難しいものです。
また「論語と算盤」にあるように、利潤と道徳を調和させる難しさを痛感しています。
これはミャンマーに限らず特に感じることです。
平沼道場の看板
そんな中で月謝制度をやめた後、少しずつ人数が増え生徒数は35〜40人で安定してきました。
その後、平沼道場は大きな転機を迎えます。
第一経済都市ヤンゴンで、若手選手を主体とした試合が行われ、私たち平沼道場からは8名が出場しました。(詳しくはこちらをご覧ください。
「ミャンマー🇲🇲より【めんでん柔道記No.10】2024年7月8日」)
結果は、15歳以下のカテゴリーで男女共に最優秀賞を獲得し、さらに総合優勝も果たしました。メダルが取りやすいシステムとはいえ、他にも多くの選手がメダルを獲得しました。
試合があることで生まれる緊張感により、選手たちが一段と成長する姿を目の当たりにすることができました。この経験は、彼らにとっても、道場全体にとっても大きな励みとなりました。
表彰式後の集合写真
平沼道場1周年記念試合及び形披露会
そして遂に道場を立ち上げて1年を迎えることができました。それを記念して平沼道場Tシャツを作成し(こちらのプロセスも柔道衣と同じです。)道場試合と形の披露会を開催しました。少し長いですが投げの形と柔の形。そして最年少同士の試合をご覧ください。
男子生徒同士による投げの形の演舞
女子生徒同士による柔の形の演舞
最年少生徒同士の試合
次なる目標と展望。そして振り返って。
再度になりますが、私がいなくなった後も道場を存続させるためには、お金が必要です。 前回、道場を営利化することでこの問題を解決しようと試みましたが、残念ながらうまくいきませんでした。しかし、今後も5年、10年と道場を継続させるためには、どのようにしても金銭的な問題を解決しなければなりません。
そのため、今後の目標としてはスポーツ庁やナショナルチーム、あるいは現地の企業などとのパートナーシップを築くことを目指しています。まだ具体的な相手は定まっていませんが必ず適切なパートナーを見つけるために努力していきます。
また、今いる生徒たちが柔道を通じて、少しでも豊かで強くなれるようこれまでの活動を継続すると同時に、2つ目の道場の開設も視野に入れて模索していきます。
振り返ってみると、何もないところから柔道の環境を整え「平沼道場」という形にすることができ、無事に1周年を迎えられたことは本当に大きな達成だったと思います。これもひとえに現地の方々の協力があってこそ実現したことです。今後も皆さんと共に協力して進んでいきたいと思います。
平沼道場Tシャツ(前面/後面)
おわりに
今回は、平沼道場の一周年記念とこれまでの歩みについてご報告させていただきました。途上国での活動には、日本とは異なる多くの課題や貴重な経験が伴います。マインドセットも大きく異なりますが、そうした違いを乗り越えミャンマーでの柔道の普及と発展に少しでも貢献できれば幸いです。
ミャンマーの地を去るその時まで、現地の皆様と共に、「柔道」を広め、次世代へと受け継いでいくための活動に尽力してまいります。道場の維持・発展には、多くの皆様のご支援とご協力が必要不可欠です。これまでのJUDOs様はじめ皆様のご厚意に深く感謝するとともに、今後も変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます。
私たちは、柔道を通じて生徒たちが心身ともに成長できる場を提供し、彼らが自信を持って未来に挑戦できるよう導いていきたいと考えています。また、2つ目の道場開設も視野に入れ、さらなる発展を目指して活動してまいります。平沼道場がミャンマー柔道界において重要な拠点となるよう、日々努力を重ねていく所存です。
今後とも、平沼道場とミャンマー柔道の発展のために、皆様のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。
平沼大和(ひらぬまやまと)
1997年北海道生まれ、2023年ミャンマー柔道連盟ナショナルチーム代表監督。中央大学商学部会計学科卒業、体育連盟柔道部所属。柔道実業団選手としてスポーツひのまるキッズ協会に所属の後、カナダ柔道連盟ナショナルチームアシスタントコーチを経て現職。
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