JUDOsでは、海外で柔道指導者として活躍されている方々の声をお届けする「海外からの柔道指導だより」を掲載しています。
ミャンマー・ネピドーで柔道指導を行っている平沼大和さんからの活動報告です!
ENGLISH VERSION Menden Judoki🇲🇲 vol.19
写真:写真1 大会関係者並びにバゴー管区の方々との記念写真
めんでん 柔道記
〜4,364km離れたミャンマーの地で
vol.19〜
※めんでん:漢字表記でミャンマーのことを指す。旧ビルマ
はじめに
2025年7月、ミャンマーの柔道界にとって大きな節目となる出来事がありました。例年ネピドーで開催されていた「国民体育大会(State & Division Games)」と「第2回SEA Games選手選考会」が、大地震の影響を受け、急遽バゴー管区にて実施されることになったのです。
今まで柔道の大会といえば、ヤンゴンやネピドーといった限られた地域のみで開催されており、地方に住む人々にとってはあまり縁のないものでした。そんな中で初めて柔道がバゴーの地で開催されたことで、柔道を知らなかった人々が柔道に触れ、そして興味を持っていただける契機となりました。
今回の報告では、大会の様子に加え、私自身がナショナルチーム監督として感じた職務のあり方、そして今後の展望についても記していきたいと思います。
第1章 バゴーでの挑戦〜柔道が新たな地に根を張る可能性〜
今回、バゴーで柔道の大会が開催されることになった背景には、2025年3月に発生した大地震の影響がありました。例年であれば、国民体育大会は首都ネピドーで行われるのが恒例でしたが、震災により会場施設が使用できなくなり、急遽代替地を探す必要が生じました。
その中で浮上したのが、これまで一度も柔道大会が開かれたことのない「バゴー」という地域でした。開催が決定したときには、正直多くの懸念がありました。
(1)柔道衣や畳といった器材の運搬はどうするのか、
(2)地方から集まる選手たちの移動手段は確保できるのか、
(3)そもそも柔道ができる施設が本当にあるのか、
(4)そして何より治安面に問題はないのか。
これらすべてが初の挑戦でした。
しかし、実際に大会が始まると、そこには想像を超える熱気と歓迎が広がっていました。地元行政関係者も多く会場を訪れ、観客として来場した子どもたちが、初めて見る柔道に目を輝かせていた姿は、今でも忘れられません。
特に印象的だったのは、バゴー管区長から「柔道をこの地域に普及させたいので、柔道着や畳を支援してもらえないか」という申し出があったことです。現時点ではまだ具体的な支援体制には至っていませんが、こうした声が行政トップから出てくるという事実そのものが、柔道の可能性を強く感じさせる瞬間でした。
また、地元・バゴー出身の選手が決勝戦に進出し、善戦を見せた場面では、観客席から大きな声援が湧き起こりました。ミャンマーにおいて、これほどまでに一体感ある「応援の空気」を感じたのは初めてであり、柔道の持つ力が競技の枠を越えて“地元の誇り”へと変わる瞬間を目の当たりにしました。
もちろん、現時点での競技レベルは決して高いとは言えません。しかし、この熱狂と関心の高さは、技術レベルとは別次元の価値を持っています。そして、もし今後継続的に地域単位で柔道に取り組み、経験と技術を積み上げていくことができれば、技術的成長とともに、さらに大きな熱狂と競技文化が育まれていくのではないかと確信しています。
今回の経験を踏まえると、今後もネピドーやヤンゴンに限定せず、安全上の問題を十分に考慮したうえで、さまざまな地域を巡回する形式で大会を開催していくことは、柔道の普及と地域活性化の両面で非常に意義深い取り組みになると感じています。
柔道を“見る機会”が“やる機会”へとつながり、さらには“支える機会”へと広がっていく——このような循環がバゴーの地で芽生え始めたことは、私にとっても「柔道とは何か?」という問いに改めて向き合わせてくれる時間でした。柔道は単なる競技ではなく、“人を育てる文化”であり、地域と社会を繋ぐ触媒でもある。その可能性を、多くの方々と共有できた大会だったと心から感じています。
写真2 開会式の様子
第2章 SEA Games選考会〜真剣勝負が生む熱と誇り〜
国民体育大会に続いて行われたのが、第2回SEA Games選手選考会です。今回の選考会では、男女各階級における代表選手を決定するための真剣勝負が繰り広げられました。
中でも、特に緊張感が漂っていたのは「1回目の選考会で勝利した選手」と「その時に敗れた選手」との対戦でした。前者にとっては、ここで再び勝利すれば代表決定というプレッシャーのかかる一戦。後者にとっては「ここで勝たなければ代表の座を失う」という崖っぷちの状況。まさに、勝ちたいだけではなく、“負けられない戦い”でもあったのです。各選手がそれぞれの想いと覚悟を胸に、これまでの努力の成果を全力でぶつけ合い、観客も選手たちの姿に引き込まれるように声援を送りました。そこには、ただの勝敗だけでは語りきれない、選手の成長と内面のドラマが確かに存在していました。
正直な感想としては、国民体育大会で感じたような熱狂的な盛り上がりにはやや欠けていたのも事実です。しかし、それはむしろ貴重な気づきとなりました。観客が何を見たいのか、大会としてどう魅せるべきか、大会の“意味づけ”をどう共有するか――そうした「運営の視点」から学ぶ機会になったことは、非常に大きな収穫でした。選手にとっては、目の前の一勝がすべてを決める重みのある舞台。そして、指導者や関係者にとっては、柔道を“見せるスポーツ”としてどう伝えるかを問われる舞台でもあったように思います。
この大会を経て、私たちは確実に12月のSEA Gamesに向けて一歩前進しました。選手個々の課題も、チーム全体の方向性も、より具体的に見えるようになり、次に備えるべき準備が明確になったことは、大きな成果だったと言えます。
第3章 「ただの試合」ではない意味〜柔道が繋ぐ地域と人〜
バゴーで大会が開催されたことの最大の意義は、「柔道を知らなかった人たち」に出会えたことにあります。これまで柔道は、ネピドーやヤンゴンといった一部都市に限定された存在であり、地方の多くの人々にとっては“縁のない競技”でした。
しかし今回、地震という予期せぬ出来事をきっかけにバゴーで大会が実現したことで、柔道というものが、初めてこの地域に“実在するもの”として姿を現しました。
会場には想像以上に多くの地域住民が足を運び、畳の上で繰り広げられる真剣勝負に目を凝らし、時には手を叩いて声援を送り、そして最後には「自分の子どもにもやらせてみたい」「どこで柔道が習えるのか」といった声が、観客席から自然と聞こえてくるようになりました。
競技としての側面はもちろん重要です。しかし、今回私たちが目にしたのは、柔道が「初めて触れた人々の心に届く瞬間」であり、それはまさに柔道の“教育的価値”や“社会的な意義”を体現する場面だったのです。
また、地元の教育関係者や行政職員の中にも、「柔道を学校教育に取り入れられないか」「地域活動として発展させたい」と前向きな提案や意見が寄せられました。今後すぐに実現するとは限りませんが、そういった声が生まれること自体が、柔道がこの地で“文化として芽生え始めた証”だと思っています。
こうした流れを一過性のものにせず、今後バゴーでの常設道場の設立や地域柔道クラスの定着を見据えて、継続的に関わっていくことが、求められる次のステップです。
柔道が“競技”として広がることももちろん大切ですが、それ以上に、“人と人をつなぐ場”として、社会の一部として根づいていくことこそが、柔道が持つ本当の価値であり可能性だと信じています。
今大会を通じて、それを肌で感じることができたことは、私自身にとっても大きな学びであり、これからの活動の指針となる出来事でした。
投げの形の代表として出場した平沼道場の生徒
第4章 私の役割について考える〜「監督」以上の肩書を背負って〜
私は現在、ミャンマー柔道ナショナルチームの監督という立場にあります。チーム強化や国際大会での結果を出すことが、契約上・職務上の最も重要なミッションであることは言うまでもありません。しかし、実際にこの地で柔道に関わり始めてからの日々を振り返ると、私の役割はいつの間にか、その枠を大きく超えていました。
少年柔道の普及に始まり、道場の立ち上げ、柔道衣や畳の支援ルートの確保、地方大会の運営協力、国際交流の推進、さらには現地日系企業との連携による就業支援モデルの構築——いまや私は、「監督」という肩書きだけでは到底収まりきらない領域で活動をしています。
本来であれば、これらの活動にはそれぞれに専任の担当者や専門家が存在するべきです。私はナショナルチームの強化に専念し、選手のトレーニングや試合戦略、メンタル面のケアに集中すべきなのかもしれません。しかし、この国の現状を見れば、それだけでは成り立たないというのもまた現実です。
たとえば、少年柔道の道場がなければ次世代の競技人口は育たず、試合の場がなければ選手は成長の機会を得られません。道着がなければ練習もできず、地域の理解や支援がなければ活動自体が社会に根づくことはない——そうした「当たり前の基盤」が、ここにはまだ不完全な状態で存在しています。
だからこそ、私は動かざるを得なかったのです。監督として、ではなく、一人の柔道家として、「この国の柔道を未来につなげたい」という思いに突き動かされて。
ただ、その一方で、ふと立ち止まると、自分がいま担っている役割の多さに圧倒されそうになる瞬間もあります。すべてを自分で背負おうとすればするほど、エネルギーは分散され、どこかで“本来果たすべき責任”が薄まってしまうリスクもあると感じています。 仮に、疲弊や迷いを感じているとすれば、それは“やりすぎ”のサインかもしれません。
「精力善用」とは、与えられた力を最も効果的に使うという、柔道の根本原理です。それは技の使い方に限らず、人材の配置や自分自身の働き方にもあてはまるものだと思います。
これからは、自分にしかできないこと、自分がやるべきこと、そして誰かに託すべきことを冷静に整理していく必要がある。私一人の力で築けるものには限界があります。だからこそ、信頼できる仲間と協力し、体制をつくりながら次の世代へバトンを渡していく——その準備を始めるべき時期に来ているのかもしれません。
“監督”という職名の裏にある、無数の役割。それをどう受け止め、どう未来に繋げていくかを、いま改めて問い直しているところです。
平沼道場各支部での集合写真
JUDOs様からご支援いただいた柔道衣
第5章 点・線・面で捉える柔道の未来〜活動の段階的発展〜
柔道の歩みは、常に小さな“点”から始まります。一つの道場、一人の選手、一つの試合。それぞれは独立した出来事のように見えても、そこには必ず「種」があり、芽が出るための準備が始まっています。
2023年、ネピドーの一角に畳を敷いて少年柔道を始めたとき、それはまさに“点”の誕生でした。たった数人の子どもたちと、何もない状態から始めたその一歩が、後にヤンゴン、エヤワディー、そして今回のバゴーへと繋がっていったのです。
やがて、点と点がつながり、“線”になります。
道場間の交流が生まれ、合同練習が実施され、地域ごとの特徴や課題を共有し合う機会が増えていく。私たちはこの1〜2年の間で、その「線の手応え」を確かに感じられるようになりました。
ただの交流ではなく、「共に学び、共に育つ関係」が、道場を越えて形になり始めています。そして今、私が本当に目指しているのは、その“線”が“面”となる段階です。
面になるということは、柔道が単なる競技の枠を超え、社会の中に“文化”として根づいていくことを意味します。たとえば学校教育に柔道が取り入れられ、地域の子どもたちが当たり前のように柔道に触れる環境があること。たとえば柔道で培った礼儀や我慢強さが、社会人としての就業支援やリーダーシップ教育に活かされること。そして、柔道を通じた国際交流や地域間連携が、外交や地域発展の一端を担うこと。
教育、経済、外交——あらゆる社会の営みに、柔道が静かに、しかし確かに関わっていく未来。それが、私の言う“面”のイメージです。
そして、これは理想論ではありません。現地日系企業との就業連携プロジェクトがその一例であり、バゴー大会での行政とのつながりもその一歩です。今まさに私の活動は、“面”を描き出す直前の「輪郭」をなぞっているような感覚があります。
もちろん、そこに至るにはまだ多くの課題があります。制度も、資金も、人も不足しています。しかし、点を打ち続け、線を結びながら、確実に歩んでいけば、いつか“面”は形になります。
柔道が社会にとって「役立つもの」「必要とされるもの」となる未来を信じて、私はこれからも、淡々と、しかし熱く、点を打ち続けていきたいと思います。
おわりに
柔道を通じて歩んできたミャンマーでの月日も、いつの間にか3年目を迎えようとしています。
最初はほんの小さな“点”にすぎなかった活動が、道場を越え、人と人をつなぎ、やがて地域を巻き込みながら“線”となり、そして今、“面”へと広がりつつある実感があります。
今回のバゴー大会とSEA Games選考会は、その歩みの中で生まれたひとつの転機でした。地震という困難から始まったこの開催は、当初の不安を超え、柔道の可能性と価値を改めて多くの人に伝えてくれました。観客の声援、選手たちの真剣な眼差し、初めて柔道に触れた子どもたちの笑顔――そのすべてが、「柔道は人を育て、社会をつなぐ文化になりうる」ということを証明してくれたように思います。
一方で、私自身の役割についても深く見つめ直す機会となりました。ナショナルチームの監督という肩書きでありながら、普及、運営、国際連携、地域交渉と、様々な領域に関わり続けてきたこの数年間。喜びや達成感と同時に、限界や迷いを感じる場面も決して少なくはありませんでした。
それでもなお、この道を進んでいく意味が、ここには確かにあります。
なぜなら、柔道はただ結果を出すための競技ではなく、“生き方”や“人との関わり方”を示す「道」であり、心を育てる学びの場だからです。
これから先、自分に何ができるのか、どこまでやり切れるのかは正直分かりません。けれども、点を打ち、線をつなぎ、面を描いていく、その一歩一歩の中にこそ、確かな希望がある。
それを信じて、私はまた次の畳に立ち、次の一手を打っていきたいと思います。
そしてこれからも、ミャンマーを去るその日まで、柔道という道を通じて、人と人、地域と地域、そして国と国をつなげていけるよう、精力善用・自他共栄の精神を胸に歩んでまいります。
平沼大和(ひらぬまやまと)
1997年北海道生まれ、2023年からミャンマー柔道連盟ナショナルチーム代表監督。中央大学商学部会計学科卒業、体育連盟柔道部所属。柔道実業団選手としてスポーツひのまるキッズ協会に所属の後、カナダ柔道連盟ナショナルチームアシスタントコーチを経て現職。
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