JUDOsでは、海外で柔道指導者として活躍されている方々の声をお届けする「海外からの柔道指導だより」を掲載しています。
ミャンマー・ネピドーで柔道指導を行っている平沼大和さんからの活動報告です!
ENGLISH VERSION めんでん柔道記🇲🇲 vol.17
めんでん 柔道記
〜4,364km離れたミャンマーの地でvol.17〜
※めんでん:漢字表記でミャンマーのことを指す。旧ビルマ
再び、思い出の地へ:ペナン国際ジャイカ柔道大会2025
2025年4月11日から13日にかけて、マレーシア・ペナン島で開催された「ペナンインターナショナルジャイカ柔道チャンピオンシップ」に参加してまいりました。
この大会は、2年前に初めてミャンマーの選手たちと共に出場した思い出深い国際大会であり、再びこの地に立てたことに深い感慨を覚えました。
今回、平沼道場からは3名の選手が出場し、それぞれが堂々とした戦いを見せ、金メダル1つ、銀メダル1つ、銅メダル1つという素晴らしい結果を残してくれました。道場設立からわずか1年8ヶ月という短い期間で、国際大会の舞台で結果を出せたことは、選手たちの日々の努力と積み重ねが着実に実を結んでいる証だと感じています。
また、ナショナルチームの選手たちもそれぞれのカテゴリーで健闘し、国際舞台で通用する力が確実に育ってきていることを実感できる大会となりました。
本稿では、この思い出深い大会の様子を中心に、直前に発生した大地震への対応や、今後に控えるシーゲームスに向けた課題と展望についてもご報告させていただきます。
ミャンマーチームでの集合写真
大会結果
今回の大会では、平沼道場から出場した3名の選手が、金メダル1つ、銀メダル1つ、銅メダル1つという素晴らしい成績を収めることができました。道場設立からわずか1年8ヶ月という短い期間で、国際大会の舞台で結果を出せたことは、選手たちの日々の努力と、指導に関わってきたすべての人の積み重ねの賜物だと感じています。
また、ナショナルチームの選手たちも金メダル3つ、銀メダル1つ、銅メダル1つを獲得し、今後のさらなる飛躍に向けた大きな一歩となりました。
今大会には、マレーシア、シンガポール、ブルネイといったシーゲームス出場国のナショナルチームも参加しており、まさに本番を想定した実戦の場となりました。各国の強化の方向性や重点的に磨いている技術、そして自チームの現状と課題を明確に把握することができたことは、技術面・戦略面の両方で非常に大きな収穫でした。
試合中の様子。平沼道場に通う女の子の生徒
試合中の様子。平沼道場に通う男の子の生徒
70キログラム級の選手の試合中の様子
大地震と柔道再開までの道のり
大会のわずか数日前、ミャンマーを大きな地震が襲いました。特にマンダレーを中心とした地域では深刻な被害が発生し、私たちが日常的に使用していた練習場所の一部も倒壊・損傷し、トレーニング計画の大幅な見直しを余儀なくされました。
地震直後は、一時的にヤンゴンへの退避や日本への一時帰国も真剣に検討しました。実際に、よく通っていた建物や市場が崩れ、電気・水道・通信が完全に遮断される中で、地域は一時的に孤立状態に陥っていました。電話もつながらず、安否確認すら困難な状況が続きました。
スポーツ選手村に電気が復旧したのは、震災から6日目のこと。水道はさらに遅れ、1ヶ月近く経った4月28日にようやく復旧しました。それまではタンクローリーでトイレやシャワー用の水を運んでもらい、飲み水も自ら街に出て販売業者を探して確保していました。
練習再開にこぎつけたのは、震災から約1週間後。しかし、汗をかくと水分補給が必要になり、そもそも水が貴重な中では長時間の稽古は困難でした。選手たちも生活自体に必死で、普段のような集中したトレーニングができる状態ではありませんでした。
地震後2〜3週間は、「建物の中にいるのが怖い」と、多くのミャンマー人が屋外で寝泊まりをしていました。朝になると、選手たちは全身蚊に刺された姿で稽古場に現れました。そんな環境の中で「試合に向けて準備をしなければならない」という責任と、「それどころではない」という現実との間で、私自身も葛藤と無力感を抱きながらの日々でした。
それでも、選手たちは本当によく耐え、頑張ってくれたと思います。そして何より、ミャンマーの柔道コーチたちが、選手のメンタルケアや水の確保に奔走してくれたおかげで、少しずつ通常の練習が可能になっていきました。
ミャンマーでは国の情勢上、公的機関による支援は期待できないのが現実です。しかし、だからこそ人々の間には「自分たちでなんとかする」「周囲と助け合って乗り越える」という精神が強く根付いています。この混乱の中で、私は改めてその逞しさと温かさを感じました。
こうした困難を乗り越え、試合に出場する選手たちは、大会の約2週間前にヤンゴンへ移動し、そこからマレーシア・ペナンへと向かいました。
選手たちがタンクローリーで運ばれた水を汲んでいる様子
市場で買ってきた飲み水を運んでいる時の様子
シーゲームスに向けた現実と葛藤
私たちが掲げる最大の目標、それは2025年12月にタイで開催予定のシーゲームスで結果を残すことです。しかし、その大会まで残された時間はわずか8ヶ月となった今も、私たちは未だに明確なスケジュールすら持てていません。
合宿や強化試合の計画はもちろん、代表選手の選考方針すら示されておらず、日々のトレーニングすら「この先、本当に大会に出られるのだろうか」という不安の中で続けているのが現実です。私たち指導者も、選手たちに何を目指させればいいのか分からないまま、手探りで指導を続けています。
こうした状況において、「柔道どころではない」というのが正直な実感です。国内の経済状況や治安、教育や医療といった社会基盤が揺らぐ中で、スポーツの優先順位が低くなるのは当然のことかもしれません。日常生活を維持すること自体が難しい中、国際のは当然のことかもしれません。日常生活を維持すること自体が難しい中、国際大会に向
けて準備をするというのは、あまりにも贅沢な話のようにも思えます。
それでも、選手たちは毎回の練習に全力で取り組んでいます。自分の成長を信じ、夢を追いかけるまっすぐな姿に、私は何度も心を打たれました。「もっと強くなりたい」「国の代表として海外で戦いたい」――そんな純粋な想いに、私は指導者として応えなければならない、と何度も自分に言い聞かせています。
私たちには、大きな予算も最新の施設も、整備された制度もありません。しかし、「想い」だけは確かにあります。その想いをどう形にしていくか――それが今、私に課せられている最大の使命であり、苦悩でもあります。
この8ヶ月で何ができるか。どこまでやれるか。誰にも答えは分かりません。ただひとつ確かなのは、「やらなければ、何も始まらない」ということです。私たちは、できることを一つひとつ積み重ね、地道に、前へ進むしかないのです。
節目の年、そしてその先に
ミャンマーでの指導が始まってから、まもなく2年半が経とうとしています。2023年にナショナルチームの監督としてこの地に赴任して以来、平沼道場の設立、地方での育成活動、国際大会への参加、JUDOS様のご協力の下、柔道用品の寄付、そして日々の練習――どれもが私にとって挑戦であり、学びの連続でした。
しかし今、私は一つの大きな節目に立っていると感じています。2025年12月に予定されているシーゲームスをもって、この活動にいったん「区切り」をつけようと考えています。
この「区切り」に込めた想いは、終わりではなく、次の可能性を見据えた再構築です。今、私の中には大きく3つの選択肢が浮かんでいます。
1つ目は、これまで通りミャンマーに留まり、現地の指導に引き続き取り組む道です。ただ、どうしてもシーゲームスやオリンピックといった大きな大会が節目や目標となっている以上、それらが見えにくい中で「今、何をすべきか」の指針が立てにくいという難しさもあります。柔道の育成は2年で結果が出るものではなく、10年、15年、20年という長い時間をかけて取り組むべき事業であると感じています。
2つ目は、一度外の世界に出て、自らの力を蓄え、より高い視点・立場からミャンマーの柔道を支える道です。国際的な経験を積み、柔道に対する理解と影響力を高めた上で再び関わることで、より長期的かつ構造的な支援が可能になるのではないかと考えています。
3つ目は、柔道ともう一つの道を並行して持つ選択です。これまで柔道一筋で歩んできましたが、今後の人生を見据えたとき、新たな分野への挑戦や、柔道と組み合わせた形で社会貢献を目指す道も、視野に入れるべきタイミングなのかもしれません。
「人間万事塞翁が馬」ということわざがあるように、何が吉で何が凶かは後になってみないと分かりません。正直なところ、12月以降の具体的なプランや道筋はまだ見えていないのが現状です。それでも、ひとつだけ決めていることがあります。それは、シーゲームスが終わったタイミングで、自分なりの区切りをつけるということです。たとえそれが「このままミャンマーに残る」という選択であっても、一度立ち止まり、これまでとこれからを見つめ直す機会にするつもりです。
もちろん、簡単な決断ではありません。この地で出会った選手たち、コーチ陣、そして柔道を通じて繋がった多くの人々――その存在があったからこそ、私もここまで走り続けることができました。誰もが「もっと続けてほしい」と言ってくれますし、私自身も「もう少しやれることがあるのではないか」と心が揺れる瞬間は何度もあります。
それでも、今の私には、これまでとは異なる視点や役割で柔道に関わることが必要なのではないかと感じています。ここで一度立ち止まり、自分自身の柔道人生、そしてこれからの生き方を見つめ直す時が来たのだと思っています。
ミャンマーで過ごしたこの日々は、私の人生を確実に豊かにしてくれました。国としては困難な状況にありながらも、それでもなお柔道を続けたいと願う人々がいる。その姿は、私にとって常に希望であり、原動力でした。
だからこそ、12月のシーゲームスに向けて、私にできる限りのことを全うし、後悔のない形でこの節目を迎えたいと思っています。そして、もし再びこの地に戻ることがあるならば、今よりも強く、広い視野と経験を持って、再び貢献できる自分でありたいと願っています。
おわりに
地震、混乱、葛藤、そして希望――この数ヶ月間は、私にとってあまりに多くの感情が交差する時間でした。
それでも、柔道を通じて人と出会い、支え合い、未来に向かって歩む力を持つことができたのは、ミャンマーという地で過ごした時間があったからに他なりません。
何が正解かは分かりませんし、どの選択をしても迷いはあるでしょう。それでも私は、自分が見て、感じて、悩んで出した答えを信じて進んでいこうと思います。
今、私の手の中にあるのは「ここまでの積み重ね」と「これからへの覚悟」です。
残された時間、そしてこれからの歩みもまた、「めんでん柔道記」の一章として刻んでいけるよう、丁寧に歩いていきたいと思います。
参考文献:Malaysia Judo Federation
https://olympics.com.my/single-organization/?sg_id=16
平沼大和(ひらぬまやまと)
1997年北海道生まれ、2023年ミャンマー柔道連盟ナショナルチーム代表監督。中央大学商学部会計学科卒業、体育連盟柔道部所属。柔道実業団選手としてスポーツひのまるキッズ協会に所属の後、カナダ柔道連盟ナショナルチームアシスタントコーチを経て現職。
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