JUDOsでは、海外で柔道指導者として活躍されている方々の声をお届けする「海外からの柔道指導だより」を掲載しています。
ミャンマー・ネピドーで柔道指導を行っている平沼大和さんからの活動報告です!
2025年3月の地震では道場に大きな被害はなかったとのことですが、生活面では依然として厳しい状況が続いているそうです。そんな中でも、現地の皆さんは柔道を通じて心を一つにし、前向きに稽古に取り組んでいます。
引き続き、ミャンマーチームを応援しています!
めんでん 柔道記
〜4,364km離れたミャンマーの地でvol.16〜
※めんでん:漢字表記でミャンマーのことを指す。旧ビルマ
ご無沙汰しております。
ミャンマーにて柔道の普及と発展に取り組んでいる平沼です。2025年もあっという間にが過ぎましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
さて、今回の報告では、私の大学時代の後輩が1ヶ月間ミャンマーに滞在し、トレーニングパートナーとして選手たちと汗を流してくれたことについてお話ししたいと思います。彼は私が大学3年生の時の大学1年生の後輩で、昨年まで私立高校の教師を務めていましたが、今年4月から消防士へ転職する予定です。その転職の合間の貴重な時間を、ミャンマー柔道のために使ってくれたことに、心から感謝しています。
彼がミャンマーに滞在した1月18日から2月18日の1ヶ月間は、選手たちにとっても貴重な時間となり、技術的な面だけでなく、精神的にも大きな刺激を受けた期間でした。柔道を通じた国際交流がどのように選手たちに影響を与えたのか、また、彼自身がどのような経験を積んだのかを、今回の記事でお伝えできればと思います。ぜひ最後までお付き合いください。
後輩のミャンマー滞在の背景と目的
なぜミャンマーに来ることになったのか
先ほど述べたように、彼は大学卒業後、私立学校で教師を務めながら柔道の指導も行っていました。しかし、学校という閉鎖的な環境の中で指導を続けるうちに、「もっと広い世界を見たい」「新しい価値観に触れたい」という思いが次第に強くなっていったようです。もともと海外での経験を積みたいと考えていた彼にとって、柔道を通じて世界とつながることは大きな目標の一つでした。
さらに、日本には柔道を学ぶために世界各国から多くの選手が訪れています。それは素晴らしいことですが、彼は「海外の人々が日本で柔道を学ぶ一方で、日本人が海外に出て柔道を教え、学ぶ機会はどのくらいあるのだろうか?」と考えていました。実際に自ら海外に出向き、日本の柔道がどのように受け入れられているのかを体験してみたい——そうした思いが、ミャンマー行きを決意する大きなきっかけとなったのです。
また、私たちは大学の先輩・後輩の関係で、頻繁ではないものの、タイミングが合えば連絡を取り合っていました。そして、彼が学校を辞めることを決め、今後について悩んでいたある日、私のもとに一本の電話がかかってきました。彼の「何か新しい挑戦をしたい」という気持ちを聞きながら、私は「それなら、ミャンマーに来てみるのはどうか?」と提案しました。
海外で柔道に関わる機会は決して簡単に得られるものではありません。特に、日本の柔道界にいると、海外で指導したりトレーニングを積んだりするハードルは高く感じられます。しかし、そうしたチャンスは「縁」と「タイミング」が重なったときにこそ実現するものです。今回の話はまさにその好機でした。そして、それをつかむかどうかは本人次第——私はそう思っています。
また、やる気や情熱には“旬”があると私は考えています。「やりたい」と思ったその瞬間に行動を起こさなければ、時間が経つにつれてその熱は冷めてしまうものです。だからこそ、彼が電話をかけてきたとき、私はすぐに「航空券を調べてみよう」と言いました。彼も即座にその提案に乗り、電話をしながら実際に航空券を検索。行きの日程を決めた直後、迷うことなくその場でチケットを購入しました。その瞬間のことは今でも鮮明に覚えています。
渡航スケジュールとビザの取得
彼が選んだのは、タイのバンコク経由でミャンマーに入るルートでした。昼に名古屋空港を出発し、現地時間の15時40分にバンコク・スワンナプーム国際空港に到着。そこから約1時間半の乗り継ぎ時間を経て、17時10分に出発し、18時にはついにミャンマーの地を踏みました。
今回の渡航にあたっては、事前の準備を入念に行いました。以前、高校の後輩がミャンマーに来た際には、ビザ取得の手続きがスムーズに進まず苦労した経験がありました。その反省を生かし、今回は計画的にビザの取得に取り組みました。
現在のミャンマーは情勢が不安定であり、外国人の入国にはビザが必須です。選択肢としては観光ビザと就労ビザがありましたが、彼が柔道の指導や活動を行うことを考慮し、今回も就労ビザを取得することに決定。ミャンマーのスポーツ省や柔道連盟の協力を得ることで、手続きは滞りなく進み、スムーズにビザを取得することができました。以前の経験を活かし、しっかりと準備をしたことが功を奏したと言えるでしょう。
こうした事前の準備や手続きを経て、彼はついにミャンマーへの渡航を果たしました。未知の環境への挑戦、そして柔道を通じた新たな経験の始まり——彼のミャンマーでの時間が、どのようなものになるのか、私自身も非常に楽しみに感じていました。
トレーニングパートナーとしての活動
どのような稽古に参加したのか
彼がヤンゴン国際空港に到着し、そこから私の住むネピドーに移動したのは翌日の早朝でした。長時間の移動で疲れがたまっているはずにもかかわらず、到着後すぐに「練習に参加します」と言ってくれたことに、私は本当に驚き、そして感動しました。これは、彼の柔道に対する情熱、そして海外での経験を積もうとする強い意志の表れだと感じました。
さらに、現在のミャンマーは連日30度を超える暑さ。一方、日本は真冬であり、寒暖差は20度以上。加えて、時差も2時間半あるため、環境の変化だけでも相当な負担になったはずです。しかし、彼はそうした条件をものともせず、すぐに柔道着に袖を通し、選手たちと汗を流しました。その姿勢は、現地の選手たちにも強い刺激を与えたと思います。
ミャンマーの柔道界は、どうしても閉鎖的な環境にあり、海外の選手との交流がほとんどありません。技術や情報を得る手段も限られ、オンラインで動画を参考にすることくらいしかできないのが現状です。そこで今回は、彼に毎回の練習で30分から1時間ほどの時間を自由に使ってもらい、彼が得意とする技や練習方法を直接指導してもらいました。
選手たちは、彼の一挙手一投足を食い入るように見つめ、積極的に質問を投げかけていました。彼の技を実際に体感しながら、「日本の選手の動きとはこういうものか」と驚いている様子が伝わってきました。その後は打ち込みや乱取りを通じて、彼と実際に組み合う時間を確保。限られた時間の中で、彼の技を肌で感じ取ろうとする選手たちの熱意も、普段より一層強くなっていたように感じました。
また、私自身も2月末の国際大会を控えていたため、彼と実際に乱取りをし、一緒に汗を流しました。練習後にはビデオを見ながら対戦相手の技を分析し、互いに意見を交わしながら研究を進めました。単なるトレーニングパートナーという枠を超え、共に競技者として刺激を与え合う関係になれたことは、私にとっても大きな財産となりました。
現地の選手たちとの交流・反応
彼の存在は、ミャンマーの選手たちにとって大きなインスピレーションとなりました。特に、彼は81kg級の選手であり、同階級の選手たちとは体格や得意技が似ていることもあって、技の精度や組み手の工夫など、非常に具体的な学びがあったようです。
実際、彼が帰国した後も、選手たちが練習中に「彼の技の入り方をもう一度試したい」「こういう動きを取り入れてみたい」といった声を上げながら、新しい技の習得に取り組んでいる姿が目立ちました。彼が滞在中に伝えたものは、単なる技術だけではなく、挑戦する姿勢や、貪欲に学ぼうとするマインドセットだったのかもしれません。
また、彼の滞在中には、SEA Games(東南アジア競技大会)に向けた選手選考会が行われました。これは、代表メンバーを決定する重要な試合であり、柔道連盟の会長や副会長をはじめ、スポーツ庁の大臣や副大臣など、多くの関係者が視察に訪れる注目の大会でした。
その場で、彼には審判としての役割を担ってもらいました。これは、彼にとっても貴重な経験になったはずです。単に選手として技を教えるだけでなく、ミャンマーの柔道界を支える立場として関わることで、競技の見方や、試合の運営といった新たな視点を得ることができたのではないかと思います。
柔道以外の活動
柔道の稽古だけでなく、彼は積極的にミャンマーの文化や人々と触れ合う機会も持ちました。
練習の合間には、ミャンマー人の生徒たちや指導者とともに観光に出かけ、寺院や市場を巡りました。日本とはまったく異なる風景や文化に触れることで、新たな視点を得られたようです。また、ミャンマーに進出している日本企業の方々との食事会にも何度か参加しました。そこでは、スポーツを通じた国際交流の話や、日本企業の現地での取り組みなど、多岐にわたる話題が交わされ、彼にとっても新たな視野を広げるきっかけになったのではないかと思います。
彼がミャンマーで過ごした日々は、単なる「柔道の指導」ではなく、彼自身の挑戦でもあり、現地の選手たちにとっても刺激的な時間だったはずです。そして、この短期間の交流が、今後のミャンマー柔道界にどのような影響を与えていくのか—その可能性を考えると、非常に楽しみです。
彼からのメッセージ
はじめに、平沼先生をはじめミャンマースポーツ省、柔道連盟の皆様そしてコーチ、選手の皆様にこのような貴重な機会を賜りましたこと心より感謝申し上げます。
私がミャンマーという地で現地の選手たちと共に生活し色々なことを経験する中で、柔道にはものごとを成り立たせる不思議な力があると感じました。
私と現地のコーチや選手の方々には「言語」という大きな壁がありました。しかし、彼らの柔道に対する真摯な情熱と私の想いが柔道を通して繋がり合ったことですぐに打ち解け充実した稽古を重ねることができました。本来であれば言語の異なる者同士が深い関係を築くことは容易ではありません。しかし、共に柔道に打ち込むことでコーチや選手たちと深い絆で結ばれたように感じました。柔道は言語をも超え、人と人との繋がりを築く力を持っていると実感しました。
また、SEA Gamesの選手選考会に立ち会う機会もいただきました。この試合は、選手自身の人生を左右する試合と言っても過言ではありません。会場には選手一人ひとりの覚悟や執念が凝縮しており、その熱気に私は心を揺さぶられました。この経験が彼らの人生で大きな支えになることは間違いありません。同時に私自身の人生観に新たな視点ができました。
微力ながら今回の滞在が選手、ミャンマー柔道の発展に少しでも貢献できていれば幸いです。改めて、関係された全ての皆様に心より感謝申し上げるとともに、彼らの今後のご活躍を心からお祈り申し上げます。
おわりに
今回は、私の大学の後輩がミャンマーにて1ヵ月間トレーニングパートナーとして滞在したことを取り上げました。柔道を通してこのような国際交流ができることは非常に意義深く、素晴らしい経験であると改めて感じています。
一方で、現在ミャンマーでは、マンダレーを震源とする大地震が発生し、多くの方が命を落とし、今なお救助を待っている方々も少なくありません。私たちミャンマー柔道ナショナルチームは、同じく被災地であるネピドーにて活動を続けていますが、幸いなことに柔道関係者全員と道場施設は奇跡的に無事であり、なんとか生活を維持しています。
現在の状況としては、電気は復旧したものの、飲料水やトイレ、シャワーといった生活用水は依然として確保が難しく、大型タンクローリーで水を運んでもらったり、外に水を買いに出たりしながらの生活が続いています。
このように衣食住すらままならない環境下での柔道の練習は決して容易ではありません。しかし、だからこそ今はチーム一丸となり、互いに助け合いながら、柔道の根本理念である「精力善用」「自他共栄」の精神を胸に、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。
平沼大和(ひらぬまやまと)
1997年北海道生まれ、2023年ミャンマー柔道連盟ナショナルチーム代表監督。中央大学商学部会計学科卒業、体育連盟柔道部所属。柔道実業団選手としてスポーツひのまるキッズ協会に所属の後、カナダ柔道連盟ナショナルチームアシスタントコーチを経て現職。
JUDOsでは海外で柔道指導をしている方々の活動記を紹介しています。興味のある方は事務局までご連絡ください。