ミャンマー🇲🇲より【めんでん 柔道記 No.13】

JUDOsでは、海外で柔道指導者として活躍されている方々の声をお届けする「海外からの柔道指導だより」を掲載しています。

ミャンマー🇲🇲・ネピドーで柔道指導を行っている平沼大和さんからの活動報告です!

English versionも作成いただきました!
Menden Judoki 〜In Myanmar, 4,364 km away from Japan〜🇲🇲vol.13〜


めんでん 柔道記
〜4,364km離れたミャンマーの地で🇲🇲vol.13〜

※めんでん:漢字表記でミャンマーのことを指す。旧ビルマ

さて、「めんでん柔道記」もいよいよNO.13を迎えることができました。これもひとえに皆様の変わらぬご支援と、ミャンマー柔道ナショナルチームの選手たちの絶え間ない努力のおかげです。今回の巻では、私にとって特別な思い出となった、10月に実現した一週間の出来事に焦点を当てます。

それは、高校時代の後輩がミャンマーを訪れ、私たちの道場で一週間にわたる練習に参加してくれたことです。久しぶりの再会だけでなく、日本からの後輩が異国の地で選手たちとともに汗を流し、交流を深めたその時間は、選手たちにとっても私にとっても貴重な経験となりました。この出来事を通じて、柔道を通じた国境を越えた絆と学びを改めて感じることができました。

後輩との練習を通じて、選手たちは新たな視点や刺激を受け、練習の質もより高まりました。今回のVOL.13では、その一週間がどのように私たちに影響を与えたのか、そして柔道の深いつながりが生み出す可能性について紹介していきます。ぜひ、最後までお付き合いください。

彼が来た経緯と背景

彼がミャンマーに来ることになった経緯は、今から約3ヵ月前にさかのぼります。ある日、突然彼から連絡があり、「海外で活動している経験を聞かせてほしい」「自分も海外で挑戦したい」という相談を受けました。何度かやり取りを重ねるうちに、彼は国内での指導には満足しているものの、自分の可能性を広げ、新しい環境でさらなる成長を遂げたいという強い意志を持っていることがわかりました。

しかし、海外で活動することは決して簡単ではありません。渡航自体が難しく、特に柔道の指導に関しては実力だけでなく、運や人とのご縁も大きく関わってきます。そのチャンスが訪れたときに、自分がしっかり準備を整えていなければ、せっかくの機会を逃してしまうこともあります。

そんな中で、私が指導しているミャンマーでは、日本人の練習パートナーを求める声が上がっていました。練習相手が限られている現状に加え、私がナショナルチームの監督を務めていることもあり、彼がミャンマーに来ることが現実のものとなりました。

彼のミャンマーでの目的は、柔道を通じて海外での経験を積み重ね、その実績を基にさらなるキャリアを築いていくことです。一方、ミャンマー側としては、日本人選手との練習や技術の共有を通して、チーム全体のレベルアップを目指していました。

渡航が決まった後、まず彼の移動経路を考えました。選んだのは、シンガポール経由の便です。夜7時に成田を出発し、夜中の1時15分にシンガポール・チャンギ国際空港に到着するスケジュールでした。そこから6時間40分の乗り継ぎ時間を経て、朝7時55分にシンガポールを出発し、現地時間の9時20分にミャンマーに到着しました。

移動経路が決まった後は、ビザの取得が課題でした。現在のミャンマーは情勢が不安定なため、入国にはビザが必要です。観光ビザと就労ビザの選択肢がある中、今回は就労ビザを手配することになりました。申請手続きを1ヵ月前に始めたものの、ビザが発行されたのは出発のわずか2日前でした。ミャンマースポーツ省やミャンマー柔道連盟連盟、さらには駐日ミャンマー大使の友人の協力を得て、何とか無事にビザを取得することができました。

こうした準備や手続きを経て、彼はついにミャンマーへの渡航を果たしました。
ミャンマー到着後、ヤンゴン国際空港にて連盟役員との記念撮影

練習内容と交流の様子

到着後、彼はすぐに「練習をしたい」と申し出てきました。移動の疲れや日本とミャンマーの気候の違いもある中で、迷うことなく練習に取り掛かる姿勢には驚かされました。彼のその情熱とプロフェッショナリズムは、日本人柔道家らしい一面だと改めて感じました。彼のこの姿勢は現地の選手たちにも刺激を与え、彼らの士気を高めるきっかけにもなりました。

 滞在中の彼のスケジュールは、午前2時間半、午後2時間半の1日計5時間の柔道の練習でした。午前中は主に乱取り稽古を行い、午後は彼の得意とするテクニックの指導や移動打ち込みを中心に進めました。午前の乱取り稽古では、私自身も彼と共に汗を流し、久々に日本人の柔道家と組むことで緊張感と楽しさを感じることができました。

練習の合間には、観光や現地のレストランでの食事を楽しむ機会もありました。現地の文化に触れることで、彼も良い経験になったようです。また、夜には現地の日本人駐在員やミャンマー柔道連盟の役員との会食もあり、彼にとってはとても充実した毎日だったと思います。

私の後輩の階級は81キログラム級で、得意技は内股や大外刈り、支え釣り込み足です。一方、私は66キログラム級で、背負い投げや足技を得意としています。体格や体重が違うことで、 柔道の考え方や得意技が変わってくるのですが、ミャンマーの選手たちの中でも特に有望な選手は73キログラムや81キログラム級が多く、内股や大外刈りを得意とする選手が目立ちます。そのため、後輩の技やスタイルはミャンマーの選手たちから大いに興味を持たれ、好印象を与えていました。


後輩による内股の移動打ち込み。技を受けた後のミャンマー選手の表情がとても印象的

選手たちへの影響

後輩との交流を通じて、選手たちは多くのことを学びました。特に、日本の柔道スタイルである「釣り手」と「引き手」をしっかりと持ち、両手で相手を制して攻防を行う組み手の重要性を体感しました。彼が見せた内股で相手を跳ね上げる技は、その美しさと力強さが際立っており、選手たちの目を引きました。その技を受ける際の体の強さや、攻撃の正確さも選手たちにとっては新鮮な学びであり、刺激になったと感じます。

また、私と後輩の乱取りを見学していた選手たちは、組み手争いの厳しさやその速さに圧倒されていました。後になって、「日本の柔道では、技術の細部に至るまで計算されていることや、動きの速さと正確さを改めて感じた」との声を多く聞きました。東南アジアの柔道環境では、こうした精密な技術や組み手争いの展開を見る機会が少ないため、私たちの乱取りは貴重な光景であったようです。

こうした交流を通して、現地の選手たちは日本の柔道の精密さや強さを体感し、その本質を学ぶ良い機会となったと感じています。


相四つ相手の組み手に関する指導の様子


全スケジュールが終了後の全体記念写真

柔道の深いつながりが生み出す可能性

私にとって、異国の地で高校時代に一緒に汗を流した仲間と柔道を通じて再会するというのは、非常に不思議であり、かつとても喜ばしい経験でした。後輩と選手たちの交流を見守る中で、柔道が生み出す国際的なつながりの力を改めて実感しました。柔道は単なる競技やスポーツを超えて、国や文化を越えた橋渡しの役割を果たしているのです。

例えば、留学生として海外に出た場合、個人として、そして一学生として日々を過ごしていきます。しかしながら、異文化や制度、宗教、人種などの違いから、差別や障壁に直面することも多いのが現実です。歴史的な背景として、アジア人が西洋などで蔑視された過去があり、その影響は現代にも残っています。これに加え、ミャンマーをはじめとする東南アジア諸国と日本との関係は、第二次世界大戦(日本から見れば大東亜戦争)にも遡ることができます。また、石油資源の輸入を通じた中東との関係など、ひとくちに「海外」といっても、多様な国々、人々、そして宗教が存在しています。こうした複雑な背景は、異国で生活する中で新たな視点と課題を私たちにもたらします。

こうした状況の中で、柔道を長く続けてきた日本人は、日本の柔道家としてのアドバンテージを持っています。そのため、海外でその経験が仕事やキャリアにつながることが多く、そのことは大きな強みとなります。柔道を通じて培った長年の稽古や経験は、自らの強みとして発揮されるのだと改めて強く感じました。これはただ技術の話ではなく、柔道家としての精神や価値観が異国での信頼構築や人々との交流に役立つからこそ成り立つのです。

「精力善用」「自他共栄」という柔道の基本精神は、自分自身の力を最大限に活かし、他者と共に繁栄していくという意味を持っています。これらは、困難な環境や異文化の中でも通用する普遍的な価値観であり、世界の人々との共通の言語でもあります。今回の経験を通じて、これらの精神をもとに、積み重ねてきた稽古や経験を個人の成長だけでなく、周囲や社会の発展のためにも役立てていくことができると強く感じました。さらに、頑張る後輩の姿を見て、自分のかつての姿を思い出し、初心を再確認することができました。この気づきが、新たな決意として身を引き締め、さらなる発展を目指していく力となりました。

また、この再会を通して、自分が受けた恩恵を次世代にどう伝えていくかという責任も感じました。柔道を通して築かれたつながりを生かし、多くの人が異国でもその経験を糧に成長し、相互理解を深めていく。そういった未来を支えるための努力を、これからも続けていきたいと思います。

後輩からのメッセージ

はじめに、普段は味わうことのできない貴重な経験をさせていただいた平沼先輩をはじめ、ミャンマー柔道連盟の皆様やサポートしてくださった方々に、心より感謝申し上げます。私自身、決して秀でた実績があるわけではありません。それでも、私の話に熱心に耳を傾け、言葉が通じないにも関わらず、真剣な眼差しで柔道に向き合う彼らの姿に圧倒されました。

ミャンマーの情勢や練習環境は決して良好とは言えず、日々の生活には緊張感が漂っています。そんな状況下でも「強くなりたい」「もっと上手くなりたい」と懸命に取り組む彼らの姿には、私も心を揺さぶられる思いでした。私が彼らに教えたことが少しでも力となり、彼らがさらなる成長を遂げる一助となれば、この経験の意義がいっそう深まると感じています。

今回の経験を通じて学んだことや得た気づきを生かし、柔道を通して新たな選手たちの成長を支えていきたいと強く思います。これからも柔道の技術と指導力を磨き続けることで、私自身も成長を重ね、柔道の魅力をさらに広げていけるよう努めてまいります。改めて、皆様に深く感謝するとともに、彼らの未来に無限の可能性が広がっていることを心から祈っています。

今後の展望とおわりに

今回、私の高校時代の後輩がミャンマーを訪れ、練習に参加してくれたことについて取り上げました。この難しい状況下で日本人がミャンマーを訪れ、一緒に汗を流すことができたことは、ミャンマー柔道界にとって大きな一歩だったと感じています。また、後輩にとっても異国の地での練習は貴重な経験となり、彼らの今後の柔道人生において実り多いものとなったのではないかと思います。

2024年も終わりが近づいていますが、私たちミャンマー柔道ナショナルチームは、2025年12月にタイで開催されるシーゲームズに向けて練習を続けていきます。その大きな目標に向かう中で、可能であればいくつかの合宿や国際大会への参加も視野に入れ、今回の経験で得た学びを活かしさらなる発展に努めていく所存です。

さらに、ミャンマーでの練習を希望する個人や団体の皆様を心より歓迎いたします。現地での安全対策はもちろん、宿泊費や食費については私たちで負担いたしますので、渡航費のみご負担いただければと思います。ミャンマーの柔道界と共に練習し、国境を越えた絆を深める貴重な機会をぜひお楽しみください。皆様のお越しを心よりお待ちしております。

最後に、この場を借りて、この厳しい状況の中、ご協力いただいた全ての皆様、そしてミャンマーに足を運んでくれた後輩に心からの感謝を申し上げます。皆様の支えがあってこそ、このような交流が実現しました。改めて感謝の意を表し、今回の報告を締めさせていただきます。


マラウィゼヤ寺院に行った際の記念写真

平沼大和(ひらぬまやまと)

1997年北海道生まれ、2023年ミャンマー柔道連盟ナショナルチーム代表監督。中央大学商学部会計学科卒業、体育連盟柔道部所属。柔道実業団選手としてスポーツひのまるキッズ協会に所属の後、カナダ柔道連盟ナショナルチームアシスタントコーチを経て現職。


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