ケニア 🇰🇪より【ハクナ・マタタ・ウタタン日記 No.1】

JUDOsでは、海外で柔道指導者として活躍されている方々の声をお届けする「海外からの柔道指導だより」を掲載しています。

アフリカ東部のケニアで国際柔道連盟の柔道指導者として2024年5月より活動をしている歌代勇祐さんより活動報告に加わってくださいました。歌代さん、よろしくお願いいたします!


ハクナ・マタタ・ウタタン日記🇰🇪 No.1

どうもこんにちは、遠いところから失礼します。

今回は一発目と言うことで、簡単に僕の紹介をさせていただきます。歌代勇祐(ウタシロユウスケ)と申します。珍しい苗字ですね。“歌”が入っているってなかなかクールじゃないですか?僕は気に入っています。出身地は岐阜県の多治見市です。“歌代”は新潟の地名らしいです。親族以外の歌代さんには会ったことがありません。激レアです。出身大学は三重県の皇學館大学です。東アフリカにあるケニア共和国にて柔道指導をはじめました。国際柔道連盟に雇われ、ケニアに派遣されている柔道コーチという立場です。ハンガリーにある組織に雇われたジャパニーズがケニアで柔道指導をしています。ややこしいですね。

ケニアでの柔道の普及状況

さて、まずは知ってもらえればと思いまして。こちらでの柔道の普及状況をお伝えします。ケニアといえば、マラソンのイメージが強いですよね。ワイナイナさんとか。柔道はあまり聞きません。「ケニアに柔道競技者はいるんだろうか」なんて心配していたのですが。来てみてどっこい、びっくり仰天。ケニアの柔道組織は大きいです。柔道連盟には公式規約があり、役員は4年に一度の選挙によって選ばれます。そんな選挙で選ばれた会長や副会長。貫禄あります。器も身体もでかいっ!!

これは2024年6月8日の選挙で決まった、新しい連盟役員での集合写真です。コントラストの関係で日本人コーチは光って見えますが、気にしないでください。必死に汗をかくあまり、本当に発光しはじめたのかもしれません。

そんなケニア柔道連盟、組織としてしっかり機能しています。毎月国内大会を開催します。参加者は200名から300名ほど。大会に参加する選手がこれだけいるということは、国全体でみるとかなり柔道が普及していることがわかります。わぉ。少し前になりますが、JICA隊員さんが何代にも渡り派遣されていたようです。日本で生まれた柔道は、日本から10,000km離れた東アフリカの国に根付いていました。先輩方の献身的なご指導の賜物です。

ケニアの柔道選手

ケニアには国際大会に出場している選手が複数名います。東アフリカ地域ではある程度の存在感を示しているようです。しかしアフリカ大陸での大会となると、エジプト、モロッコ、アルジェリアなど強豪国がいます。壁は高く厚いようです。

ナショナルチームはまだありません。カデ、ジュニア、シニアそれぞれのナショナルチームを設立し強化するのが、僕に課せられたプロジェクトの一つです。

ケニアに到着して約1ヶ月、首都ナイロビ近くにあるいくつかの柔道チームに行きました。荒々しい部分はありますが、強くなることに貪欲な選手たちがいました。彼らとのこれからに、とってもワクワクしています。

難民キャンププロジェクト

先程紹介しましたように、“ナショナルチームの設立と強化”が僕の使命の一つです。そしてもう一つ大切なプロジェクトがあります。それは“難民キャンプでの柔道普及”です。

ケニアには大きな難民キャンプが二つあります。ダダーブとカクマ。その一つであるカクマ難民キャンプでの柔道普及が、僕のもう一つのプロジェクトになります。

国際柔道連盟から畳と柔道衣が届きます。これらをもってカクマに行き、ケニア人コーチと共に柔道を普及することになります。基本的には指導はケニア人コーチに任せることになります。僕にはプロジェクトの開始とマネジメントを任せられます。具体的なところは、はじまってみたいとわからないところがありますが。

難民キャンプは、日本にいてはなかなか馴染みがありません。そんなところでの柔道普及活動。貴重な経験をさせていただきます。楽しみです。

そんなこんなで、これからケニアでの活動を紹介させていただければと思います。

柔道とは関係ないですが…

僕の家は4階建ての一階に位置するアパートです。週に1回お手伝いさんがお掃除に来てくれます。敷地の入り口には門番さんがいます。割といいところです。だけど一つ問題が。

洗濯機がベランダにあるので、ベランダはよく使うんです。そこにナメクジがいるんです。

「いやナメクジごとき」って思うじゃないですか。違うんですよ。問題は大きさと数。ハリーポッターと秘密の部屋で、ロンが「ナメクジくらえ」の魔法を失敗してナメクジを吐き出すシーン、ご存知ですかね。あのナメクジくらい太くてでかいです。あれが複数います。いつも。最初は塩で対峙していたのですが。もう諦めました。数が一向に減らない。

諦めてしばらくは同居することにしました。見守ってみます。あわよくば少しずつ仲良くなって、出て行ってくれるように交渉してみます。