ミャンマー🇲🇲より【めんでん 柔道記 No.20】

JUDOsでは、海外で柔道指導者として活躍されている方々の声をお届けする「海外からの柔道指導だより」を掲載しています。

ミャンマー🇲🇲・ネピドーで柔道指導を行っている平沼大和さんからの活動報告です!

めんでん柔道記〜4,364km離れたミャンマーの地で🇲🇲vol.20〜

写真: 日本武道館で試合を観戦中の様子


めんでん 柔道記
〜4,364km離れたミャンマーの地で🇲🇲vol.20〜

※めんでん:漢字表記でミャンマーのことを指す。旧ビルマ

はじめに

 9月、ミャンマー代表の選手たちを連れて約1か月間の日本遠征を行いました。

出発の時、私は大きな不安を抱えていました。日本の大学生や社会人の選手と比べると、ミャンマーの選手たちはまだ経験も浅く、体格や技術にも差があります。本当に通用するのか、彼らにとって良い経験となるのか。指導者としての責任を思うと、胸が重くなりました。

さらに、遠征を無事にやり切れるのかという不安もありました。日本のニュースで教育実習生などが不法滞在で逃げ出す例を耳にしていたこともあり、選手たちが最後まで遠征を全うできるのかという懸念も拭えませんでした。お金の管理や生活面のマネジメント、練習先との調整や通訳、監督業務まで――今回の遠征はすべて私に任されており、それを果たせるのかという不安も抱えていました。

しかし日を追うごとに、選手たちの姿は大きく変わっていきました。初めは簡単に投げられていたのが、次第に崩れにくくなり、打ち込みも美しく揃い、技の形が整っていく。遠征の終盤には先生方から「来た時とはまるで違う」「基礎がしっかりしてきた」と言葉をいただき、胸が熱くなりました。日々のスケジュールをこなしながら責任を果たす大変さと、それを乗り越えた時の安堵や達成感も、この1か月で強く感じたことでした。

 この遠征は単なる「強化」のためだけではありません。日本の先生方や学生たちとの交流を通じ、私は自分自身が日本とミャンマーをつなぐ「架け橋」として立っていることを実感しました。この記事では、その1か月を振り返りながら、皆さまにお伝えしていきたいと思います。


日本へ出発前の集合写真

遠征実現までの道のり

 今回の遠征を企画した最大の理由は、12月に迫るSEA Gamesに向けた強化でした。ミャンマー国内では国際大会に出場する機会が限られており、海外での稽古や試合経験が不可欠だと考えました。

実は2024年の段階で「2025年のSEA Gamesに向け、海外遠征を組む」という話は出ていました。しかし情勢は悪化し、2025年3月の大地震で計画は白紙に。中国や韓国への案もすべて頓挫しました。そうした中、連盟会長との食事の場で「日本であれば自分がサポートできる、構想だけではなく実際に形にしよう」と話したことがきっかけとなり、スポーツ省や連盟からの後押しを受け、今回の遠征が実現しました。

ただし準備は容易ではありませんでした。渡航費や滞在費、ビザ取得の困難、治安や生活面への不安、練習先の調整など課題は山積みでした。それでも日本の大学や道場の先生方が練習を受け入れてくださり、日本大使館もビザ取得を支援してくださいました。多くの協力によって、ようやく選手たちが安心して稽古できる環境が整ったのです。

 滞在先の確保も最初は難航しました。当初は「私の実家に泊まる」という案もありましたが現実的ではなく、最終的にマンスリーアパートを借り、冷蔵庫・洗濯機・電子レンジ・布団を揃えて生活基盤を整えました。その上で、練習スケジュールや交流行事、昇段審査の準備、男女別の練習先や移動手段の確保まで、細部に気を配りながら組み立てました。


アパートに入居直後の様子

生活面の指導も大切な準備の一部でした。日本では電車移動が基本のため、Suicaを購入させ、乗り方や経路の確認を一緒に行いました。スーパーでは閉店間際の値引きやダイソーでの生活用品購入など、日本での生活の工夫も伝えました。怪我を抱えた選手には「できる範囲でやりなさい」と声をかけつつ、一方で「試合前だからここで追い込まなければ勝てない」と厳しく伝える場面もありました。

この過程で最も大きな支えとなったのは両親でした。送迎や生活環境の整備など、多方面で協力してもらい、彼らの支えがなければ今回の遠征は成功しなかったと断言できます。

こうして多くの方々の理解と協力を得て、遠征は実現しました。その背景には「勝つための強化」以上に、ミャンマー柔道を未来につなげ、日本とミャンマーの柔道を結ぶ新しい架け橋を築きたいという想いが込められていました。

日本での稽古と交流

 今回の遠征の大きな収穫の一つは、多彩な練習環境に身を置けたことです。女子と男子それぞれに練習先を確保し、日本のトップ選手たちと肌を合わせることができました。

 女子は、三井住友海上、コマツ、JR東日本、日本大学女子柔道部に加え、講道館の実業団練習会に参加しました。世界や全日本で活躍する選手たちに胸を借り、組み手やスピード、技の精度を体感しました。私の母校である群馬・常磐高校でも稽古を行い、高校生との乱取りや打ち込みを通じ、年齢の近い相手から刺激を受けました。また、パラエストラ東京で寝技の練習にも参加し、柔道では触れる機会の少ないブラジリアン柔術由来の技術を学びました。


三井住友海上女子柔道部にて。ロンドン五輪3位の上野順恵先生にご指導をいただいている様子。

 男子は、中央大学や日本大学での稽古を通じ、学生柔道の厳しさと勢いを体感しました。講道館の実業団練習会では、実戦に直結する高強度の乱取りにも挑戦しました。男子選手もパラエストラ東京で寝技に取り組み、さらに女子の練習先で出会った男性指導者や選手の方々にも胸を借り、幅広い経験を積むことができました。 


コマツ女子柔道部にて練習中の様子


 JR東日本女子柔道部にて練習中の様子

 こうした稽古を通じて、選手たちは当初の不安を乗り越え、日本のトップレベルに食らいつく姿を見せました。基礎に取り組んできた成果が一つひとつの稽古で確認でき、日本の先生方からも「来た時よりも良くなっている」と評価をいただきました。柔道だけでなく、異なる背景を持つ人々との交流も含め、今回の稽古は技術を超えた「人と人をつなぐ時間」となりました。

チェコス
ロバキアのオリンピック2連覇のクレパレク選手に稽古をつけていただいている様子。

成長と評価

 1か月の稽古を経て、選手たちの成長は明らかでした。初めは簡単に崩されていた動きが安定し、打ち込みや技の形も整っていく。その変化は私自身も感じていましたが、何よりも印象的だったのは日本の先生方からいただいた評価の言葉です。

「基礎基本がしっかりしている」

「このまま続けていけば、必ず強くなる」

多くの先生方が口を揃えてそう言ってくださいました。これは、私がミャンマーで一貫して取り組んできた「基礎基本の徹底」が間違いではなかったことの証明であり、何よりも選手たちの努力が確かに伝わったことの証でした。

柔道の技術は時代やルールによって変化します。教科書通りでない技や、他競技の要素を取り入れる選手もいます。しかしどんなスタイルも、崩し・組み手・打ち込みといった基礎がなければ成り立ちません。今回の評価は、選手たちが地道に積み重ねてきた姿勢が正しく伝わった証であり、彼らにとっても大きな励みとなりました


日本大学男子柔道監督の金野潤に組み手のご指導を受けている様子

架け橋としての広がり

 今回の遠征で得られたものは、成長や評価にとどまりません。その先に「日本とミャンマーをつなぐ新しい交流の芽」が確かに生まれました。

その象徴が、三井住友海上の玉置桃選手の来緬です。10月に実際にミャンマーを訪れてくださる予定であり、他の選手たちからも「ミャンマーで練習したい」という声が上がっています。これは選手たちにとって大きな励みであると同時に、遠征が一方通行ではなく「双方向の交流」へと発展している証でもあります。

さらに、講道館や他の団体からも「長く活動しているのであれば協力できることがある」とのお声をいただきました。これまで「海外に出る」ことが挑戦だったミャンマー柔道に、「海外から来てもらう」流れが生まれ始めたのです。

 私はこれを「日本が支援する」という関係ではなく、対等な人と人との結びつきから生まれる交流だと捉えています。公的な往来が難しい局面だからこそ、柔道という共通の言語を通じた民間レベルの交流が、現実的かつ意味のある形で実現している――そのことを強く感じました。


講道館にて昇段審査終了後の集合写真

指導哲学と守破離

 今回の遠征を通じ、改めて「基礎基本」の大切さを実感しました。日本の先生方から「基礎がしっかりしている」と評価いただいたことは、自分の指導方針が確かに形になってきた証です。

 柔道の技術は時代やルールに応じて変化し、教科書にない技や他競技からの影響を取り入れる選手もいます。しかし、それらを活かすためには必ず土台が必要です。その土台が、崩し・組み手・打ち込みといった地道な基礎です。

 私はこの考えを「守破離」に重ねています。まずは“守”として基礎を徹底し、次に“破”として応用や変化を試み、やがて“離”として自分だけの柔道を確立する。選手たちが「守」を積み重ねていることを日本の先生方に認めていただけたのは、今後「破」「離」へ進む大きな一歩です。これからも基礎を土台に、選手たちが自分の柔道を見つけていけるよう支えていきたいと思います。

今後への展望

 今回の遠征はゴールではなく、始まりに過ぎません。12月のSEA Gamesに向け、ここで得た経験を日々の稽古にどう還元し、実戦につなげていくかが問われます。

同時に、今回芽生えた「双方向の交流」を一過性のものにせず、持続的につなげていくことが大切です。日本の選手や先生方がミャンマーを訪れ、ミャンマーの選手が再び日本に学びに行く。その往来が当たり前になれば、競技力の向上だけでなく、人と人、国と国を結ぶ架け橋として大きな意味を持つでしょう。

 柔道という共通言語を通じて、日本とミャンマー双方にとって実りある未来をつくる。その一端を担える存在でありたいと強く思います。


ミャンマーに帰緬語に空港にて集合写真

おわりに

 9月の日本遠征は、私自身にとっても選手たちにとっても大きな節目となりました。出発前に抱えていた不安は、選手たちの成長と、日本の先生方からいただいた温かい言葉によって希望へと変わりました。

 この遠征は、多くの方々のご協力なくしては決して実現できませんでした。練習を受け入れてくださった大学や実業団の皆さま、講道館の先生方、ビザ取得を支援してくださった日本大使館、生活面で力を尽くしてくれた両親、そして陰に陽に支えてくださった多くの関係者の皆さま――その一つひとつの支えが、この遠征を成功へと導いてくださいました。

心より感謝申し上げます。

 柔道の理念である「精力善用」「自他共栄」は、まさにこの遠征の中に息づいていました。人と人とのつながりで実現した今回の経験を糧に、これからも交流の輪を広げ、選手たちが未来へと歩みを進めていけるよう努めてまいります。


平沼大和(ひらぬまやまと)

1997年北海道生まれ、2023年からミャンマー柔道連盟ナショナルチーム代表監督。中央大学商学部会計学科卒業、体育連盟柔道部所属。柔道実業団選手としてスポーツひのまるキッズ協会に所属の後、カナダ柔道連盟ナショナルチームアシスタントコーチを経て現職。


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