ネパールに指導者を派遣しました

NPO法人JUDOsでは、2023年3月14日〜3月22日、ネパール・カトマンズに須貝等氏(1985年、1987年世界柔道選手権大会95kg級優勝。1988年ソウル五輪95kg級出場/(株)デフィール代表取締役)と本法人事務局長の鈴木利一を派遣いたしました。

 本法人では、法人設立の2019年から、オーストリア人柔道家のサブリナ・フィルツモザーさん、ネパール柔道連盟、ネパール在住の古屋祐輔さんを通じ、同国の柔道普及・振興を支援してきました。今回の派遣はその活動の一環です。

鈴木利一からの報告書を掲載いたします。


柔道で人生を変えている人たちを目の当たりにした

JUDOs 事務局長 鈴木利一


PRIME道場でネパール人柔道家と記念撮影をする須貝等氏(左端)と鈴木利一(右端) ©古屋祐輔

 今回のネパール訪問を終えて、柔道についての考え方が大きく変化しました。柔道によって、ストリートチルドレンから警察官に、ごみを拾う生活から学校に通える生活に、人生を大きく変えた人たちがいました。「生きるか死ぬか」という過酷な状況から柔道によって人生を切り開いていった方々を目のあたりにし、柔道の持つ力を強く感じました。

 ネパールには、カースト制度(身分制度)が今も残っています。上位身分は、下位身分に対して見下している様子が見られましたし、女性軽視、差別もまだまだあるそうです。女性が生理の時には、家の外に追い出され、小屋で寝ないといけない等の話をお聞きしました。

 しかし、そんな身分制度や女性差別をネパールの柔道には、超越する力があります。畳の上では誰もが等しい。同じ畳の上で修養に励む。柔道の素晴らしさと価値、そしてJUDOsの活動の意義がそこにあると感じました。

 相手の国を理解しながら、国際交流していく必要性を感じました。柔道にふれることで人生を豊かにする、そんな力を強く感じています。

 

須貝等先生の生き方に

須貝先生の生き方に一歩近づきたい。ご一緒した1週間、須貝先生の優しさを感じなかった日はなかったです。現地で事務作業をする私に「おれも仕事があるんだよなー、出発までゆっくりするから、またあとでな」、ネパール代表選手との乱取でいいとこなしでクタクタになった私に「イメージとカラダってズレてくるんだよー、いきなりなのによくやったよ! ケガしてないか?」、菊田豊駐ネパール大使との面会時、本法人の事業を淡々と説明してしまい反省する私に「事務局長の役目を果たしてたよ! わかりやすかった!この経験が次につながるよ!おれもそうだったから」。人生の大先輩である須貝先生からの優しさは、大緊張していた私に強く響きました。


©古屋祐輔

また、訪問先での柔道指導、人生観のお話にも感銘を受けました。

訪問先の柔道のレベルは様々だったのですが、事前情報は限られていたため、指導はぶっつけ本番でした。そこで、私が特に学んだ点は3つあります。

①選手がその場で成長を感じられるような指導をすること

②選手同士が改善し合い、技術を高め合う時間があること

③たった1回の指導で明日以降も継続できる内容であること

 指導時間は1、2時間、ほとんど1回きりで2回目がない海外での指導は、「初めまして」と言って臨む1回が真剣勝負です。この1回目で、受講者や関係者に「価値あり!」と思ってもらわなければなりません。須貝先生の講義は、選手や指導者にとって間違いなく価値がありました。それは、講義後、すぐに帰らないといけない状況なのに、須貝先生の周りに集まる選手、指導者の姿、目を輝かせながら質問する姿が証明していました。

須貝先生とご一緒したことで、私の人生がより豊かになったと確信しています。須貝先生の立ち振る舞い、生き方に憧れを覚えました。少しでも近づけるように一日一日を生きていきます。


©古屋祐輔

以下、訪問道場についての詳細です。


  • MMAC道場 審判講習 3月15日午前

 審判講習が、Necos大会(全ネパール少年少女柔道大会)の2日前に、午前・午後の2部制で行われた。受講生は、16歳~30歳のネパールナショナルチームの代表選手も含まれていた。国際柔道連盟試合審判規程に基づき、大きな声で実践さながらに「いっぽん!」と発しながら、ジェスチャーを繰り返し反復。8名の指導者のもと、IJFが作成したルール解説動画を視聴しながら、センテンスごとに動作の確認、質疑応答を行った。実技試験はNecos大会で実施する。そのため、受講生同士が活発に意見を交換し、全員で合格しようという雰囲気が強く伝わってきた。受講生の様子は、身に付けよう、学ぼうとする姿勢がとても高かった。指導者の話をよく聞き、皆が声を出しながら動作を繰り返し行っている姿に、私自身、初心を思い起こした。


  • PAM(Prisoners Assistance Mission)道場 3月15日午後

 ドイツ企業からの援助金があるようでネパールの中では、恵まれている道場のように感じた。指導者は、スリヤ先生。スリヤ先生は、初代青年海外協力隊の金子晃先生の教え子である。競技成績はネパールで1番ということだったが、5歳~15歳くらいの子どもたち40名が20畳ほどの道場で練習していた。環境は決してよいとは言えない。畳はボロボロで隙間があり、柔道衣はリサイクル柔道衣を着ていた。

指導内容は、打ち込み、移動打ち込みなど、基礎が中心。2つのグループに分け、サーキットを導入しながら効率化を図った指導を行っていた。孤児院を運営する副会長は、柔道未経験者であったが、柔道から得られるものは、「柔軟さ」と話してくれた。子どもたちが柔道を学ぶことで、変化に応じる柔軟さ、どんな環境にも負けない強い精神力・体力を養うと語った。


  • ネパール警察道場 3月16日午前

@古屋祐輔

所属選手は30名ほど。ナショナル代表選手も在席しており、年齢層は16歳~30歳。男女の比率は、男性6:女性4であった。指導者は、ナショナル女子チームの監督であるデブ先生。畳の上では厳しい姿勢でチームの統率を取るが、ティータイムでご一緒した際は、謙虚で笑顔を絶やさない優しい方であった。ネパール大会で1位となった選手が多く所属しており、国際大会経験した選手も数名いた。アジア競技大会で入賞した選手はいないまだいないということだった。道場は、ネパール警察の建物内の道場のため、つくりはしっかりしていたが、柔道畳ではなく空手用のマットを使用していた。柔道衣は、リサイクル柔道衣を大半の選手が使用していた。


  • 日本大使館表敬訪問 3月16日午後

 菊田豊在ネパール日本国全権大使と、広報文化担当の佐藤麻優子さんと面会した。菊田大使は、剣道六段の達人。日本の武道の価値についてお話しくださった。ネパールの柔道では、女性も男性も混じって練習していることをお伝えすると、とても驚いた様子だった。ネパールの文化的・社会的背景を考えると、男女や違った身分の方々が同じ場所で練習するということは驚くべきことのようだった。柔道は、接近競技なので身体が触れ合うことで、心が開きやすい面がある。ネパールでも人々が差別なく心を開きあうことができる柔道の力を感じた。


  • パタンジャリ児童養護施設道場 3月16日午後

©古屋祐輔

指導者はランジャナ先生。子どもたちを無償で指導されていた。パタンジャリというのは、ヨガ関係のインド大手企業で、道場はそのパタンジャリ養護施設の一角にあった。3歳~15歳くらいの子どもたち30名が通っているそう。子どもたちは、ヨガや歌を授業で習っており、身体が柔らかく、歌手を目指す生徒もいた。柔道衣は、皆がリサイクル柔道衣を着用。


  • Necos International Judo Champion Ship(ネパール少年少女柔道大会)

3月17日~18日の期間、カトマンズを中心に地方道場と、隣国ブータンからの参加者も含めて、約300名が出場した。

参加者の皆がとにかく賑やかでエネルギッシュ!  試合中は、声援が飛び、勝敗の喜びを爆発させていた。試合場は一つで全日本選手権のように、畳に上がる選手を会場全員が見つめるため、緊張と興奮の濃い経験となったのだと思う。表彰式は、司会が盛り上げてお祭り状態になり、大会後は参加者皆で踊っていた。私たちも踊りの輪に促され、参加することとなった。柔道大会後に、楽しく踊った経験は初めてだった。

 今後の課題としては、なるべく多くの試合ができるように、試合場を複数にすることが必要だと思う。地方からの参加もあったが試合場が一つしかないため、初戦敗退となると1試合しかできないからだ。

 また、大会は2日間開催だったが、例えば1日目は合同練習、2日目は大会という形で実施しても良いのではないかと思った。そうすれば競技と交流のどちらもできると思う。

 試合では国際柔道連盟試合審判規程が採用されていたが、子ども用に独自ルールを設定しても良いと感じた。両ひざ付きの技を掛けて、ケガにつながるような危ない場面が何度かあったため、そのように感じた。


  • ネパール軍道場(3月19日午後)

指導者はアフガニスタンでの戦争経験のあるシバ先生。道場が軍の施設であるためか、今回訪問所した中で一番整っていた。男女比5:5で30名ほどが所属していた。柔道衣はグリーンヒルとリサイクル柔道衣。畳は傷んでおり、傷や隙間があった。国際大会経験者が数名所属していたが、国際大会初戦敗退というレベルだと説明を受けた。


  • PRIME道場(3月20日午前)

指導者はラクシミー先生とビレンドラ先生。ラクシミー先生を古くから知るIT企業の同僚が場所と道場の建設費用を出している。ラクシミー先生は、無償で朝晩、週6回指導にあたっている。道場はプレハブの屋根があるのみで、屋外にある。裸足で外を歩いており、そのまま畳に上がるため衛生状態が良いとは言えなかった。畳は柔道畳ではあったが、屋外にあるため傷が多く傷んでいた。3歳~15歳くらいの少年少女30名が練習していた。あまり良い環境とは言えない道場だったが、ラクシミー先生が「今ある環境で十分。支援は必要ないです」と言われていたのが印象的だった。


  • DEAF道場(3月21日午後)

指導者のマモチ先生が3年前に亡くなり、指導者が現在不在となっている。マモチ先生は、多くの方から信頼されていてネパールの孤児院に柔道を広めた方と聞いた。現在、運営はろう者のご夫妻が運営されている。

ネパールに唯一あるろう学校で、生徒は30名ほど。男女比は男1:女9、柔道のレベルは初心者だった。選手は、音が聞こえず声が出せないため、視覚情報だけが頼りとなる。指導は手話とジェスチャーで行っていたが、我々はろう者への指導に慣れていないため、健常者の2.5倍ほどの時間がかかった。黙想は畳を叩いてその振動を合図としていた。しかし、生徒たちは真似る能力が非常に高く、感覚が鋭いため、我々がいた2時間の間だけでも目に見えて成長する姿があった。

 運営者のご夫妻に話を聞くと、柔道を始めた理由を3つ教えてくださった。

①護身術を身につけるため(ろう者は襲われても声が出せない)

②柔道から社会と繋がるチャンスを得るため 

③ろう者の存在を社会に発信するため。

柔道を通じて人生を豊かにしたい気持ちは、どの国も同じだと感じる。